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摩訶般若波羅蜜経十無品第二十五

十三、スブーティ、菩薩摩訶薩の正しい観行を説く

須菩提白佛言。
世尊。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜如是觀諸法。
須菩提が仏に申し上げた。
「世尊。菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じ、このように諸々の事物を観じます。
是時菩薩摩訶薩不受色不示色不住色不著色。亦不言是色。 この時、菩薩摩訶薩は物質的存在を感受せず、物質的存在を示さず、物質的存在に留まらず、物質的存在に執着せず、またこの物質的存在をも言いません。
受想行識亦不受不示不住不著。亦不言是受想行識。 感覚・知覚・意志・意識もまた感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの感覚・知覚・意志・意識をも言いません。
眼不受不示不住不著亦不言是眼。
耳鼻舌身意不受不示不住不著。亦不言是意。
眼を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの眼をも言いません。
耳・鼻・舌・身体・心も感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの心をも言いません。
檀那波羅蜜不受不示不住不著。亦不言是檀那波羅蜜。
尸羅波羅蜜
提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜般若波羅蜜。不受不示不住不著。亦不言是般若波羅蜜。

檀那波羅蜜を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの那波羅蜜をも言いません。
尸羅波羅蜜・
提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅那波羅蜜・般若波羅蜜を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの般若波羅蜜をも言いません。

空不受不示不住不著。亦不言是空。乃至無法有法空亦如是。 内面の空を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの内面の空をも言いません。さらに存在せず存在する事物の空もまたこのとおりです。
復次世尊。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。四念處不受不示不住不著。亦不言是四念處。乃至十八不共法不受不示不住不著。亦不言是十八不共法。
また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、四つの観行を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの四つの観行をも言いません。さらに十八不共法を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの十八不共法をも言いません。
一切三昧門一切陀羅尼門乃至一切種智。不受不示不住不著。亦不言是一切種智。
一切の三昧門・一切の陀羅尼門さらに一切種智を感受せず、示さず、留まらず、執着せず、またこの一切種智をも言いません。
復次世尊。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見色乃至不見一切種智。
何以故。
また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、物質的存在を見ず、さらに一切種智を見ません。
どうしてでしょうか。
色不生是非色。受想行識不生是非識。

物質的存在が生じないということは、これは物質的存在ではないということなのです。感覚・知覚・意志・意識が生じないということは、これは〈感覚・知覚・意志・〉意識ではないのです、

眼不生是非眼。耳鼻舌身意不生是非意。 眼が生じないということは、これは眼ではないということなのです。耳・鼻・舌・身体・心が生じないということは、これは〈耳・鼻・舌・身体・〉心ではないのです、
檀那波羅蜜不生是非檀那波羅蜜。
乃至般若波羅蜜不生是非般若波羅蜜。
何以故。
檀那波羅蜜が生じないということは、これは檀那波羅蜜ではないということなのです。
さらに般若波羅蜜が生じないということは、これは般若波羅蜜ではないということだからです。
どうしてでしょうか。
色不生不二不別。乃至般若波羅蜜不生不二不別。空不生是非空。 物質的存在が生ぜず、二ではなく、別でもなく、さらに般若波羅蜜は生ぜず、二ではなく、別でもなく、内面の空が生じないということはこれが内面の空ではないということだからです。
乃至無法有法空不生是非無法有法空。
何以故。
さらに存在せず存在する事物の空が生じないということはこれが存在せず存在する事物の空ではないということなのです。
どうしてでしょうか。
空乃至無法有法空不生不二不別。 内面の空さらに存在せず存在する事物の空が生ぜず、二ではなく、別でもないからです。
世尊。四念處不生非四念處。
何以故。
四念處不生不二不別。
何以故。

世尊。四つの観行は生ぜず、四つの観行ではないのです。
どうしてでしょうか。
四つの観行は生ぜず、二ではなく、別ではないからです。
どうしてでしょうか。

世尊。是不生法非一非二非三非異。
以是故。四念處不生不二不別。乃至十八不共法不生非十八不共法。
何以故。
世尊。この生じない事物は一ではなく、二でもなく、三でもなく、異なるのでもないからです。
こういうわけで、四つの観行は生ぜず、二ではなく、別でもなく、さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物も生ぜず、十八の〈仏以外には〉具わらない事物ではないのです。
どうしてでしょうか。
十八不共法不生不二不別。
何以故。
十八の〈仏以外には〉具わらない事物は生ぜず、二ではなく、別ではないからです。
どうしてでしょうか。
世尊。是不生法非一非二非三非異。
以是故。十八不共法不生非十八不共法。
世尊。この生じない事物は一ではなく、二でもなく、三でもなく、異なるのでもないからです。
こういうわけで。十八の〈仏以外には〉具わらない事物は生ぜず、十八の〈仏以外には〉具わらない事物ではないということなのです。
世尊。如不生是非如。乃至不可思議性不生是非不可思議性。 世尊。生じない〈諸々の事物の〉あるがままの実体は、これがあるがままの実体ではないのです、さらに思議することができない本性が生じないということは、これが思議することができない本性ではないということなのです。
世尊。是阿耨多羅三藐三菩提不生。一切智一切種智不生是非一切種智。
何以故。
世尊。この阿耨多羅三藐三菩提が生ぜず、一切智・一切種智が生じないということはこれが〈阿耨多羅三藐三菩提・一切智・〉一切種智ではないということなのです。
どうしてでしょうか。
是阿耨多羅三藐三菩提乃至一切種智不生不二不別。
何以故。

この阿耨多羅三藐三菩提さらに一切種智は生ぜず、二ではなく、別ではないということだからです。
どうしてでしょうか。

世尊。是不生非一非二非三非異。
以是故。乃至一切種智不生非一切種智。
世尊。この生じないということは一ではなく、二でもなく、三でもなく、異なるのでもないからです。
さらにこういうわけで、一切種智が生じないということは、一切種智ではないということなのです。
世尊。色不滅相是非色。
何以故。

世尊。物質的存在が滅することのない姿かたちであるということ、これは物質的存在ではないということなのです。
どうしてでしょうか。

色及不滅相不二不別。
何以故。
物質的存在と滅することのない姿かたちは二ではなく、別ではないからです。
どうしてでしょうか。
世尊。是不滅法非一非二非三非異。

世尊。この滅することのない事物は一ではなく、二でもなく、三でもなく、異なるのでもないのです。

以是故。色不滅相是非色。
受想行識不滅相是非識。
何以故。
こういうわけで、物質的存在が滅することのない姿かたちであるということ、これは物質的存在ではないということなのです、
感覚・知覚・意志・意識が滅することのない姿かたちであるということ、これは〈感覚・知覚・意志・〉意識ではないということなのです。
どうしてでしょうか。
識及不滅不二不別。
何以故。

意識と滅することのないことは、二ではなく、別ではないからです。
どうしてでしょうか。

世尊。是不滅法非一非二非三非異。
世尊。この滅することのない事物は一ではなく、二でもなく、三でもなく、異なるのでもないからです。
以是故。識不滅是非識。

こういうわけで、意識が滅することがないということは、これが意識ではないということなのです。

檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜。空乃至無法有法空。四念處乃至十八不共法亦如是。
檀那波羅蜜さらに般若波羅蜜、内面の空さらに存在せず存在する事物の空、四つの観行さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物もまたこのとおりです。
世尊。以是故。色入無二法數。受想行識入無二法數。乃至一切種智入無二法數

世尊。こういうわけで、物質的存在は無二の法数に入り、感覚・知覚・意志・意識も無二の法数に入り、さらに一切種智も無二の法数に入るのです」

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著作 アルキメデスの館