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摩訶般若波羅蜜経十無品第二十五

十一、スブーティ、不生を離れて阿耨多羅三藐三菩提を行ずることはないことを説く

如舍利弗所言。何因故。離畢竟不生無菩(SAT版有『。』)薩行阿耨多羅三藐三菩提 (問九に答える)舍利弗が言ったように、どういう理由で、究極的に生じないことを離れて菩薩が阿耨多羅三藐三菩提を行ずることはないというのでしょうか」
須菩提言。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見畢竟不生異般若波羅蜜。
須菩提が言った。
「菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、究極的に生じることのないことと般若波羅蜜とが異るのを見ません。
亦不見畢竟不生異菩薩。畢竟不生及菩薩無二無別。
不見畢竟不生異色。
何以故。
また究極的に生じることのないことと菩薩とが異ると見ず、究極的に生じることのないこと及び菩薩は二つのことでなく別のこととも見ません。
究極的に生じることのないの物質的存在と異なるのを見ません。
どうしてでしょうか。
是畢竟不生及色無二無別。 これが究極的に生じることのないこと及び物質的存在は二つのことでなく別のことでもないからです、
不見畢竟不生異受想行識。
何以故。

究極的に生じることのないことと感覚・知覚・意志・意識とは異ると見ないからです。
どうしてでしょうか。

畢竟不生受想行識無二無別。乃至一切種智亦如是。 究極的に生じることのないこと及び感覚・知覚・意志・意識は二つのことでなく別のことでもないのです、さらに一切種智もまた同様だからです。
以是因故。舍利弗。離畢竟不生無菩薩行阿耨多羅三藐三菩提 こういうわけで、舎利弗、究極的に生じないことを離れて菩薩が阿耨多羅三藐三菩提を行ずることはないのです。

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著作 アルキメデスの館