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摩訶般若波羅蜜経十無品第二十五

八、スブーティ、一切は生じることがない事を説く

如舍利弗言。何因故。我名字畢竟不生。
舍利弗。我畢竟不可得云何當有生。
(問六に答える)舍利弗の言うように、どういう理由で、我の名称を説いても究極的に生じることなく、舎利弗、自我は究極的に〈実体として〉認知できませんが、何がまさに生じることがあるというのでしょうか。
乃至知者見者畢竟不可得云何當有生。 さらに、知るということ、見るということも、究極的に〈実体として〉認知できませんが、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
舍利弗。色畢竟不可得云何當有生。
受想行識畢竟不可得云何當有生。
舎利弗。物質的存在は究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
感覚・知覚・意志・意識は究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
眼畢竟不可得。乃至意觸因生受畢竟不可得云何當有生。 眼は究極的に〈実体として〉認知できません、さらに心と外界との接触により生じる判断も究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
檀那波羅蜜畢竟不可得。乃至般若波羅蜜畢竟不可得云何當有生。

檀那波羅蜜は究極的に〈実体として〉認知できません。さらに般若波羅蜜も究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。

空畢竟不可得。乃至無法有法空畢竟不可得云何當有生。 内面の空は究極的に〈実体として〉認知できません。さらに存在せず存在する事物の空も究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
四念處畢竟不可得。乃至十八不共法畢竟不可得云何當有生。

四つの観行は究極的に〈実体として〉認知できません。さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物も究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
諸三昧門諸陀羅尼門畢竟不可得云何當有生。 諸々の三昧門・諸々の陀羅尼門は究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
聲聞乃至佛畢竟不可得云何當有生。 声聞さらに仏も究極的に〈実体として〉認知できません、何をまさに生じることがあるというのでしょうか。
以是因故。舍利弗。我如我名字我亦畢竟不生。

こういうわけで、舎利弗、我れ自我の名称のように自我もまた究極的に生ぜずと説くのです。

如舍利弗所言。如我諸法亦如是無自性。 舍利弗の言うように、自我も諸々の事物のようにまたこのようにそれ自体の本性はないのです。
舍利弗。諸法和合生故無自性。 舎利弗。諸々の事物は和合して生じるのですから、それ自体の本性はないのです。
舍利弗。何等和合生無自性。 舎利弗。どんなものが和合して生じ、それ自体の本性はないのでしょうか。
舍利弗。色和合生無自性。
受想行識和合生無自性
眼和合生無自性。
乃至意和合生無自性。
舎利弗。物質的存在は和合して生じ、自らの本性がなく、
感覚・知覚・意志・意識は和合して生じ、自らの本性がなく、
眼は和合して生じ、自らの本性がなく、
さらに心も和合して生じ、それ自体の本性はないのです。
色乃至法。
眼界乃至法界。
地種乃至識種。
眼觸乃至意觸。
眼觸因
生受乃至意觸因生受。和合生無自性。

物質的存在さらに事物も、
眼の領域さらに事物の領域も、
地種
(六種)さらに識種(六識)も、
眼と外界との接触さらに心と外界との接触も、
眼と外界との接触により生じる判断さらに心と外界との接触により生じる判断も和合して生じ、それ自体の本性はないのです。

檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜。和合生無自性。
四念處乃至十八不共法。和合生無自性。
檀那波羅蜜さらに般若波羅蜜も和合して生じ、それ自体の本性はないのです。
四つの観行さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物も和合して生じ、それ自体の本性はないのです。
復次舍利弗。一切法無常亦不失。
舍利弗問須菩提。
何等法無常亦不失。
また次に舎利弗。一切の事物は恒常でなく、また失われることもないのです」
舎利弗が須菩提に質問した。
「どの事物が恒常でなく、また失われることがないのでしょうか」
須菩提言。
色無常亦不失。受想行識無常亦不失。
何以故。
須菩提が言った。
「物質的存在は恒常でなく、また失われることもないのです。感覚・知覚・意志・意識も恒常でなく、また失われることもないのです。
どうしてでしょうか。
法若無常即是動相即是空相。
以是因
故。舍利弗。一切有為法無常亦不失。
事物がもしも恒常でなければそのままでこれが動の姿かたちであり、そのままでこれが空の姿かたちということになってしまうからです。
こういうわけで、舎利弗、一切の作られた事物は恒常でなくまた失われることもないのです。
復次舍利弗。若有漏法若無漏法。若有記法若無記法欠『無常亦不失』ならん、。
何以故。
また次に舎利弗、例えば作られた事物も作られたのでない事物も、例えば記された事物も記されていない事物も恒常でなく、また失われることもないのです。
どうしてでしょうか。
若法無常即是動相即是空相。
以是因
故。舍利弗。一切作法無常亦不失。
もし事物が恒常でなければそのままでこれが動の姿かたちであり、そのままでこれが空の姿かたちということになってしまうからです。
こういうわけで、舎利弗、一切の作られた事物は恒常でなく、また失われることもないのです。
復次舍利弗。一切法非常非滅。
舍利弗言。
何等法非常非滅。
また次に舎利弗。一切の事物は恒常でなく、滅することもないのです」
舎利弗が言った。
「どの事物が恒常でなく、滅することもないのでしょうか」
須菩提言。
色非常非滅。
何以故。
須菩提が言った。
「物質的存在は恒常でなく、滅することもないのです。
どうしてでしょうか。
性自爾。受想行識非常非滅。
何以故。
本性は自体としてありませんから、感覚・知覚・意志・意識は恒常でなく、滅することもないからです。
どうしてでしょうか。
性自爾。乃至意觸因生受非常非滅。
何以故。
本性は自体としてありませんから、さらに心と外界との接触により生じる判断も恒常でなく、滅することもないからです。
どうしてでしょうか。
性自爾。以是因故。舍利弗。諸法和合生無自性。 本性は自体としてありませんから、こういうわけで、舎利弗、諸々の事物は和合して生じ、それ自体の本性はないのです。
如舍利弗所言。何因故色畢竟不生。受想行識畢竟不生。 舎利弗が言ったように、どういう理由で、物質的存在は究極的に生ぜず、感覚・知覚・意志・意識は究極的に生じないのでしょうか」
須菩提言。
色非作法。受想行識非作法。
何以故。
須菩提が言った。
「物質的存在は作られた事物ではなく、感覚・知覚・意志・意識も作られた事物でないからです。
どうしてでしょうか。
作者不可得故。
舍利弗。眼非作法。
何以故。
作られるということは〈実体として〉認知できないからです。
舎利弗。眼は作られた事物ではないのです。
どうしてでしょうか。
作者不可得故。乃至意亦如是。 作られるということは〈実体として〉認知できないからです、さらに心もまた同様です、
眼界乃至意觸因生受亦如是。 眼の領域さらに心と外界との接触により生じる判断もまた同様です。
復次舍利弗。一切諸法皆非起非作。
何以故。
また次に舎利弗。一切の諸の法は皆な起きたことでなく、作られたものでないのです。
どうしてでしょうか。
作者不可得故。
以是因
故。舍利弗。色畢竟不生。受想行識畢竟不生。

作られるということは〈実体として〉認知できないからです。
こういうわけで、舎利弗、物質的存在は究極的に生ぜず、感覚・知覚・意志・意識も究極的に生じないのです。

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著作 アルキメデスの館