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摩訶般若波羅蜜経十無品第二十五

六、スブーティ、認知できないから教えるべき菩薩摩訶薩はいないことを説く

如舍利弗言。何因故。於一切種一切處菩薩不可得。當教何等菩薩般若波羅蜜。 (問四に答える)舍利弗の言うように、どういう理由で、一切の分野・一切の場所に於て菩薩は〈実体として〉認知できませんが、まさにどの菩薩に般若波羅蜜を教えるべきなのでしょうか。
舍利弗。色色中不可得。
色受中不可得。
舎利弗。物質的存在は物質的存在の中には〈実体として〉認知できません。
物質的存在は感覚の中には〈実体として〉認知できません。
受受中不可得。
受色中不可得。
受想中不可得。
感覚は感覚の中には〈実体として〉認知できません。
感覚は物質的存在の中には〈実体として〉認知できません。
感覚は知覚の中には〈実体として〉認知できません。
想想中不可得。
想色受中不可得。
想行中不可得。
知覚は知覚の中には〈実体として〉認知できません。
知覚は物質的存在・感覚の中には〈実体として〉認知できません。
知覚は行の中には〈実体として〉認知できません。
行行中不可得。
行色受想中不可得。
行識中不可得。
意志は意志の中には〈実体として〉認知できません。
意志は物質的存在・感覚・知覚の中には〈実体として〉認知できません。
意志は意識の中には〈実体として〉認知できません。
識識中不可得。
識色受想行中不可得。
意識は意識の中には〈実体として〉認知できません。
意識は物質的存在・感覚・知覚・意志の中には〈実体として〉認知できません。
舍利弗。眼眼中不可得。
眼耳中不可得。

舎利弗。眼は眼の中には〈実体として〉認知できません。
眼は耳の中には〈実体として〉認知できません。

耳耳中不可得。
耳眼中不可得。
耳鼻中不可得。
耳は耳の中には〈実体として〉認知できません。
耳は眼の中には〈実体として〉認知できません。
耳は鼻の中には〈実体として〉認知できません。
鼻鼻中不可得。
鼻眼耳中不可得。
鼻舌中不可得。
鼻は鼻の中には〈実体として〉認知できません。
鼻は眼・耳の中には〈実体として〉認知できません。
鼻は舌の中には〈実体として〉認知できません。
舌舌中不可得。
舌眼耳鼻中不可得。
舌身中不可得。
舌は舌の中には〈実体として〉認知できません。
舌は眼・耳・鼻の中には〈実体として〉認知できません。
舌は身体の中には〈実体として〉認知できません。
身身中不可得。
身眼耳鼻舌中不可得。
身意中不可得。
身体は身体の中には〈実体として〉認知できません。
身体は眼・耳・鼻・舌の中には〈実体として〉認知できません。
身体は心の中には〈実体として〉認知できません。
意意中不可得。
意眼耳鼻舌身中不可得。

心は心の中には〈実体として〉認知できません。
心は眼・耳・鼻・舌・身体の中には〈実体として〉認知できません。

六入六識六觸。六觸因生受亦如是。 六入(色・音・臭い・味・触・事物)・六識(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・認知機能)・六触(眼・耳・鼻・舌・接触・心と外界との接触)。六触因縁生の受(六触により生じる判断)もまたこのとおりです。
檀那波羅蜜乃至般若波羅蜜。
空乃至無法有法空。
四念處乃至十八不共法。
檀那波羅蜜さらに般若波羅蜜も、
内面の空さらに存在せず存在する事物の空も、
四つの観行さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物、
一切三昧門一切陀羅尼門。
性法乃至辟支佛法。
初地乃至十地。
一切智道種智一切種智亦如是。
一切の三昧門・一切の陀羅尼門、
本性の理法さらに辟支仏の理法、
初地さらに十地、
一切智・道種智・一切種智もまた同じようです。
須陀乃至阿羅漢辟支佛菩薩佛亦如是。
須陀さらに阿羅漢・辟支仏・菩薩・仏もまた同じようです。
菩薩菩薩中不可得。
菩薩般若波羅蜜中不可得。
菩薩は菩薩の中には〈実体として〉認知できません。
菩薩は般若波羅蜜の中には〈実体として〉認知できません。
般若波羅蜜般若波羅蜜中不可得。
般若波羅蜜菩薩中不可得。

般若波羅蜜は般若波羅蜜の中には〈実体として〉認知できません。
般若波羅蜜は菩薩の中には〈実体として〉認知できません。

般若波羅蜜中教化無所有不可得。
教化中教化無所有不可得。
般若波羅蜜の中に教化があるということはなく、〈実体として〉認知できません。
教化の中に教化があるということはなく〈実体として〉認知できません。
教化中菩薩及般若波羅蜜無所有不可得。 教化の中に菩薩及び般若波羅蜜があるということはなく〈実体として〉認知できません。
舍利弗。如是一切法無所有不可得。 舎利弗。このように一切の事物があるということはなく〈実体として〉認知できません。
以是因故。於一切種一切處菩薩不可得。當教何等菩薩般若波羅蜜。 こういうわけで。一切の分野・一切の場所に於て菩薩は〈実体として〉認知できず、まさにどの菩薩に般若波羅蜜を教えるべきかというのです。

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著作 アルキメデスの館