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摩訶般若波羅蜜経十無品第二十五

一、スブーティ、菩薩摩訶薩は実体として認知できないことを説く

慧命須菩提白佛言。
世尊。菩薩摩訶薩前際不可得。後際不可得中際不可得
長老の須菩提(スブーティ)が仏に申し上げた。
「世尊。菩薩摩訶薩
(ボーディサットヴァ:覚りを求める衆生+マハーサットヴァ、偉大な衆生)の過去は〈実体として〉認知できず、未来も〈実体として〉認知できず、現在も〈実体として〉認知できません。
色無邊故。當知菩薩摩訶薩亦無邊。
受想行識無邊故。當知菩薩摩訶薩亦無邊。
物質的存在は無辺ですから、まさに菩薩摩訶薩もまた無辺であると知るべきであり、
感覚・知覚・意志・意識は無辺ですから、まさに菩薩摩訶薩もまた無辺であると知るべきです。
色是菩薩摩訶薩。是亦不可得。
受想行識是菩薩摩訶薩。是亦不可得。
物質的存在は菩薩摩訶薩であり、これもまた〈実体として〉認知できません。
感覚・知覚・意志・意識は菩薩摩訶薩であり、これもまた〈実体として〉認知できません。
如是世尊。於一切種一切處。求菩薩不可得。 このように世尊、一切の分野・一切の場所に於て、菩薩を求めても〈実体として〉認知できません。
世尊。我當教何等菩薩摩訶薩般若波羅蜜。

世尊。私は、まさにどの菩薩摩訶薩に般若波羅蜜(プラジニャー:智慧+パーラミター:到彼岸、智慧の超越)を教えるべきなのでしょうか。

世尊。菩薩摩訶薩但有名字。
我名字我畢竟不生。如我諸法亦如是無自性。
世尊。菩薩摩訶薩はただ名称があるだけです。
自我という名称を説いても自我が究極的に生じるということがないように、自我と同じように諸々の事物もまたこのようにそれ自体の本性はないのです。
何等色畢竟不生。
何等受想行識畢竟不生。
どの物質的存在が究極的に生じないというのでしょうか。
どの感覚・知覚・意志・意識が究極的に生じないというのでしょうか。
世尊。是畢竟不生不名為色。是畢竟不生不名為受想行識。 世尊。これが究極的に生じなければ、物質的存在と名づけることはないのです。これが究極的に生じなければ、感覚・知覚・意志・意識とは名づけることはないのです。
世尊。若畢竟不生法。當教是般若波羅蜜耶。 世尊。もしも究極的に生じることのない事物ならば、まさにこの般若波羅蜜を教えるべきということになるのでしょうか。
離畢竟不生亦無菩薩行阿耨多羅三藐三菩提。

究極的に生じないということを離れても、また菩薩が阿耨多羅三藐三菩提(アヌッタラサムャクサンボーディ:最上にして普遍的の覚り)を行ずるということはないのです。

若菩薩聞作是。心不沒不悔不驚不怖不畏。 當知是菩薩摩訶薩。能行般若波羅蜜。 もしも菩薩がこのように説明するのを聞いて、心没せず、悔いず、驚かず、おのかず、畏れなければ、まさにこの菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行じているのだと知るべきです」

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著作 アルキメデスの館