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摩訶般若波羅蜜経出到品第二十一

四、ブッダ、誰も大乗に乗って出ることがないことを説く

須菩提。汝所問誰當乘是乘出者。
無有人乘是乘出者。
須菩提。汝は、誰がまさにこの乗に乗って出るのかと質問した。
人がこの乗に乗って出るということがあることはないのである。
何以故。
是乘及出者。
SAT版無『。』)所用法及出時。是一切法皆無所有。
どうしてであろうか。
この乗が及んで出る者、その用いた理法が及んで出る時、この一切の理法は皆なあるということがないのである。
若一切法無所有。用何等法當出。 もしも一切の理法があるということがなければ、どういう理法を用いてまさに出るのか。
何以故。
我不可得乃至知者見者不可得。畢竟淨故。
どうしてであろうか。
自我は〈実体として〉認知できない、さらに知ること・見ることは〈実体として〉認知できない。究極的に〈本性は空であり〉清浄であるからである。
不可思議性不可得。畢竟淨故。 思いはかることのできないことの本性は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
陰入界不可得。畢竟淨故。 (五陰:物質的存在・感覚・知覚・意志・意識)・入(十二入:眼・耳・鼻・舌・身体・心、色・音・臭い・味・触・事物)・界(十八界:十二入+視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・認知機能)は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
檀那波羅蜜不可得。畢竟淨故。
檀那波羅蜜は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
乃至般若波羅蜜不可得。畢竟淨故。 さらに般若波羅蜜は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
空不可得。畢竟淨故。 内面の空は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
乃至無法有法空不可得。畢竟淨故。 さらに存在せず存在する事物の空は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
四念處不可得。乃至十八不共法不可得。畢竟淨故。 四つの観行は〈実体として〉認知できない。さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
須陀不可得。乃至阿羅漢辟支佛菩薩佛不可得。畢竟淨故。 須陀は〈実体として〉認知できない。さらに阿羅漢・辟支仏・菩薩(ボーディサットヴァ、覚りを求める衆生)・仏も〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
須陀果乃至阿羅漢果辟支佛道佛道一切種智不可得。畢竟淨故。 須陀果さらに阿羅漢果・辟支仏道・仏道・一切種智は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
不生不滅不垢不淨無起無作不可得。畢竟淨故。 生ぜず・滅せず・垢つかず・浄まらず・起きることなく・作すことのないということは〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
過去世未來(世欠字ならん)現在世生住滅不可得。畢竟淨故。 過去世・未来世・現在世・生じること・留まること・滅することは〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
搆ク不可得。畢竟淨故。 増えること・減ることは〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
何法不可得故不可得。
どんな事物が〈実体として〉認知できないから、〈実体として〉認知できないとするのであろうか。
法性不可得故不可得。 事物の本性は〈実体として〉認知できないから、〈実体として〉認知できないとするのである。
如實際不可思議性法相法位檀那波羅蜜不可得故不可得。乃至般若波羅蜜。不可得故不可得。 〈諸々の事物の〉あるがままの実体・〈諸々の事物の〉究極的な真実・思いはかることができないことの本性・事物の姿かたち・法位・檀那波羅蜜は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに般若波羅蜜も、〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
空不可得故不可得。乃至無法有法空不可得故不可得。 内面の空は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに存在せず存在する事物の空も〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
四念處不可得故不可得。乃至十八不共法不可得故不可得。 四つの観行は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
須陀不可得故不可得。乃至佛不可得故不可得。 須陀は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに仏は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
須陀果不可得故不可得。乃至佛道不可得故不可得。 須陀果は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに仏道は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
不生不滅乃至不起不作。不可得故不可得。 生じず・滅せず、さらに起きず・作さないことは、〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。
復次須菩提。
初地不可得故不可得。乃至第十地不可得故不可得。畢竟淨故。
また次に須菩提。
初地は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとし、さらに第十地は〈実体として〉認知できないから〈実体として〉認知できないとする。究極的に清浄であるからである。
云何為初地乃至十地。
所謂乾慧地性地八人地見地薄地離欲地已作地辟支佛地菩薩地佛地。
初地から十地とは何なのであろうか。
いわゆる乾慧地・性地・八人地・見地・薄地・離欲地・已作地・辟支仏地・菩薩地・仏地である。
空中初地不可得。乃至無法有法空中初地不可得。 内面の空の中に初地は〈実体として〉認知できない。さらに存在せず存在する事物の空の中に初地は〈実体として〉認知できない。
空乃至無法有法空中。第二第三第四第五第六第七第八第九第十地不可得。 内面の空さらに存在せず存在する事物の空の中に、第二・第三・第四・第五・第六・第七・第八・第九・第十地は〈実体として〉認知できない。
何以故。
須菩提。初地非得非不得。乃至十地非得非不得。畢竟淨故。
どうしてであろうか。
須菩提。初地は得るのではなく得ないのでもない。さらに十地は得るのではなく得ないのでもない。究極的に清浄であるからである。
空乃至無法有法空中。成就生不可得。畢竟淨故。 内面の空はさらに存在せず存在する事物の空の中に、衆生を成就させることは〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
空乃至無法有法空中。淨佛國土不可得。畢竟淨故。 内面の空さらに存在せず存在する事物の空の中で、仏国土を浄めることは〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
空乃至無法有法空中五眼不可得。畢竟淨故。 内面の空さらに存在せず存在する事物の空の中に、五眼は〈実体として〉認知できない。究極的に清浄であるからである。
如是須菩提。
菩薩摩訶薩以一切諸法不可得故。乘是摩訶衍出三界。住薩婆若。SAT版無『。』)

以上のようである、須菩提。
菩薩摩訶薩は一切の諸々の事物は〈実体として〉認知できないということによって、この摩訶衍に乗って三界を出て薩婆若に留まるのである」

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著作 アルキメデスの館