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摩訶般若波羅蜜経発趣品第二十

六、ブッダ、五地中に住し遠離すべき十二法を説く

云何菩薩遠離親白衣。
菩薩出家所生。從一佛國至一佛國。常出家剃頭著染衣。是名遠離親白衣。

「菩薩が白衣に親しむのを遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「菩薩が生れた家を出て、一仏国より一仏国に至り、常に出家し剃頭し染衣を着ること。これを白衣に親しむのを遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離比丘尼。
不共比丘尼住。乃至彈指頃亦不生念。是名遠離比丘尼。

「菩薩が比丘尼(ビクシュニー、尼僧)を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「比丘尼と共に住まず、さらに指を弾く短い間もまた想いを生じない。これを比丘尼を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離慳惜他家。
菩薩如是思惟我應安樂
生。
他今助我安樂云何生慳。是名遠離慳惜他家。

「菩薩が他家をもの惜しみするのを遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「菩薩はこのように思惟する『私はまさに衆生を安楽にするのだ。他が今私を助け安楽である、もの惜しみを生ずるとは如何なることであろうか』と。これを他家をもの惜しみするのを遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離無益談處。
若有談處或生聲聞辟支佛心。我當遠離。是名遠離無益談處。


「菩薩が無益に談ずることを遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「例えば談ずることが有ったとし、あるいは声聞・辟支仏の心を生じたとしても、私はまさに遠離しよう〈と思う〉。これを無益の談処を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離瞋恚。
不令瞋心惱心鬥
(鬪ならん)心得入。是名遠離瞋恚。

「菩薩が瞋恚を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「瞋心・悩心・闘心が入ってこないようにする。これを瞋恚を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離自大。
所謂不見
法故。是名遠離自大。

「菩薩が自尊心を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「いわゆる自己の内面の事物を見ないから、これを自尊心を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離人。
所謂不見外法故。是名遠離
人。

「菩薩が人を蔑むのを遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「いわゆる自己の外面の事物を見ないから、これを人を蔑むのを遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離十不善道。
是十不善道能障八聖道。何況阿耨多羅三藐三菩提。是名遠離十不善道。
「菩薩が十不善道を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「この十不善道は八聖道の障害となる、阿耨多羅三藐三菩提については何をか況んやである。これを十不善道を遠く離れると呼ぶのである」
云何菩薩遠離大慢。
是菩薩不見法可作大慢者。是名遠離大慢。
「菩薩が大慢心を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「この菩薩は事物について大慢心を起こすようなことを想わない。これを大慢心を遠く離れると呼ぶのである」
云何菩薩遠離自用。
是菩薩不見是法可自用者。是名遠離自用。
「菩薩が自用を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「この菩薩はこの事物を自から用いるようなことを想わない。これを自用を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離顛倒。
顛倒處不可得故。是名遠離顛倒。

「菩薩が顛倒を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「顛倒した考え方は〈実体として〉認知できないから、これを顛倒を遠く離れると呼ぶのである」

云何菩薩遠離婬怒癡。
婬怒癡處不可見故。
是名遠離婬怒癡。
是為菩薩住五地中遠離十二法。
「菩薩が婬・怒・痴を遠く離れるとはどういうことでしょうか」
「婬・怒・痴ということは見ることができないから、これを婬・怒・痴を遠く離れると呼ぶのである。
これが菩薩が第五の地位の中にあって十二の事物を遠く離れるということなのである」

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著作 アルキメデスの館