<<目次へ  <<戻る  訓読へ  次へ>>

 

摩訶般若波羅蜜経発趣品第二十

五、ブッダ、四地中に於て捨てるべからざる十法を説く

云何菩薩不捨阿練若住處。
能過聲聞辟支佛地。是名不捨阿練若住處。

「菩薩が阿練若(アーランニャ、寂静の場所)の住処を捨てないとはどういうことでしょうか」
「声聞・辟支仏の地位を過ぎこせる。これを阿練若の住処を捨てないと呼ぶのである」

云何菩薩少欲。
乃至阿耨多羅三藐三菩提尚不欲何況餘欲。是名少欲。

「菩薩の少欲とはどういうことでしょうか」
「阿耨多羅三藐三菩提に至った後でさえ、さらに欲することはないのだから、その外の欲があるであろうか。これを少欲と呼ぶのである」

云何菩薩知足。
得一切種智是名知足。

「菩薩が足るを知るとはどういうことでしょうか」
「一切種智
(一切空なるがゆえに平等・無差別であることを知りながら現象の諸相の種別を見極める智慧)を認知する、これを足るを知ると呼ぶのである」

云何菩薩不捨頭陀功コ。
觀諸深法忍。是名不捨頭陀功コ。

「菩薩が頭陀の功徳を捨てないとはどういうことでしょうか」
「諸々の深法を観て忍ぶ、これを頭陀の功徳を捨てないと呼ぶのである」

云何菩薩不捨戒。
不取戒相。是名不捨戒。

「菩薩が戒を捨てないとはどういうことでしょうか」
「戒という姿かたちを求めない。これを戒を捨てないと呼ぶのである」

云何菩薩穢惡諸欲。
欲心不生故。是名穢惡諸欲。

「菩薩が諸々の欲を穢れた悪とするとはどういうことでしょうか」
「欲心が生じないから、これを諸々の欲を穢れた悪とすると呼ぶのである」

云何菩薩厭世間心順涅槃心。
知一切法不作故。是名厭世間心順涅槃心。

「菩薩が世間の心を厭い、涅槃の心に順ずるとはどういうことでしょうか」
「一切の事物が作られたものではないと知るから、これを世間の心を厭い、涅槃の心に順ずると呼ぶのである」

云何菩薩捨一切所有。
不惜
外諸法故。是名捨一切所有。
「菩薩が一切の有ということを捨てるとはどういうことでしょうか」
「内外の諸々の事物を惜しまないから、これを一切の有ということを捨てると呼ぶのである」

云何菩薩心不沒。
二種識處心不生故。是名心不沒。

「菩薩の心が没しないとはどういうことでしょうか」
「二種識処に心が生じないから、これを心が没しないと呼ぶのである」

云何菩薩不惜一切物。
於一切物不著不念。是名不惜一切物。
是為菩薩於四地中不捨十法。
「菩薩が一切の物を惜しまないとはどういうことでしょうか」
「一切の物に執着せず、想わない、これを一切の物を惜しまないと呼ぶのである。
これが菩薩が第四の地位の中で十の理法を捨てないということなのである」

<<目次へ  <<戻る  訓読へ  次へ>>

 

 

 

 

 

著作 アルキメデスの館