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摩訶般若波羅蜜経発趣品第二十

三、ブッダ、二地中に住し満足すべき八法を説く

云何菩薩戒清淨。
若菩薩摩訶薩不念聲聞辟支佛心。及諸破戒障佛道法。是名戒清淨。

「菩薩の戒が清浄であるとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩摩訶薩が声聞・辟支仏の心、及び諸々の破戒、仏道を妨げる事物を想わないこと、これを戒が清浄であると呼ぶのである」

云何菩薩知恩報恩。
若菩薩摩訶薩行菩薩道。乃至小恩尚不忘何況多。是名知恩報恩。

「菩薩が恩を知り、恩に報いるとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩摩訶薩が菩薩の道を行じ、さらに小恩をすら忘れないこと、多く〈の恩の場合〉は何をか況やである。これを恩を知り、恩に報いると呼ぶのである」

云何菩薩住忍辱力。
若菩薩於一切
生無瞋無惱。是名住忍辱力。

「菩薩が忍辱力に留まるとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩が一切の衆生に対し瞋が無く悩がないこと、これを忍辱力に留まると呼ぶのである」

云何菩薩受歡喜。
所謂成就
生以此為喜。SAT版無『。』)是名受歡喜。

「菩薩が歓喜を受けるとはどういうことでしょうか」
「いわゆる衆生が成就したのを喜びとする、これを歓喜を受けると呼ぶのである」

云何菩薩不捨一切生。
若菩薩念欲救一切
生故。是名不捨一切生。

「菩薩が一切の衆生を捨てないとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩の考えが一切の衆生を救おうと欲するから、これを一切の衆生を捨てないと呼ぶのである」

云何菩薩入大悲心。
若菩薩如是念我為一一
生故。如恒河沙等劫地獄中受懃苦。乃至是人得佛道入涅槃。如是名為為一切十方生忍苦。是名入大悲心。

「菩薩が大悲の心に入るとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩は次のように考える『我が一人一人の衆生のためだから、ガンジス川の砂の数ほどもある劫のあいだ、地獄の中で懃苦を受けよう、そしてこの人は仏道を得て涅槃に入るに至るのだ』、このようなことを一切の十方の衆生の為に苦を忍ぶと名づけ、これを大悲の心に入ると呼ぶのである」

云何菩薩信師恭敬諮受。
若菩薩於諸師如世尊想。是名信師恭敬諮受。

「菩薩が師を信じ、恭敬し、諮り受けるとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩が諸々の師に対し世尊のように想うこと、これを師を信じ、恭敬し、諮り受けると呼ぶのである」

云何菩薩懃求諸波羅蜜
若菩薩一心求諸波羅蜜無異事。是名懃求諸波羅蜜。

「菩薩が諸々の波羅蜜を懃求するとはどういうことでしょうか」
「例えば菩薩は一心に諸々の波羅蜜を求め異る事がない、これを諸々の波羅蜜を懃求すると呼ぶのである。

是為菩薩摩訶薩住二地中滿足八法。 これを菩薩摩訶薩が第二の地位の中にあって八つの理法を満足すると呼ぶのである」

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著作 アルキメデスの館