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摩訶般若波羅蜜経発趣品第二十

二、ブッダ、初住地中に十事を修行し地業を治めることを説く

爾時慧命須菩提白佛言。
世尊。云何菩薩摩訶薩。深心治地業。
佛言。
菩薩摩訶薩應薩婆若心集一切善根。是名菩薩摩訶薩深心治地業。

その時長老の須菩提が仏に申し上げた。
「世尊。菩薩摩訶薩が深心に地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩摩訶薩の薩婆若
(サルヴァジュニャーナ、一切智)に応ずる心が一切の善根を集めること。これを菩薩摩訶薩が深心に地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」

云何菩薩於一切生中等心。
佛言。
若菩薩摩訶薩應薩婆若心生四無量心。所謂慈悲喜捨。是名於一切
生中等心。

「菩薩の一切の衆生の中における平等の心とはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「例えば菩薩摩訶薩が薩婆若に応ずる心に四つの限りのない心、いわゆる慈・悲・喜・捨を生ずること。これを一切衆生の中における平等の心と呼ぶのである」

云何菩薩修布施。
佛言。
菩薩施與一切
生無所分別。是名修布施。

「菩薩が布施を修めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩が一切の衆生に施し与えて分け隔てがないこと、これを布施を修めると呼ぶのである」

云何菩薩親近善知識。
佛言。
能教人入薩婆若中住。如是善知識親近諮受恭敬供養。是名親近善知識。

「菩薩が仏道に導いてくれる友人に親近するとはどういうことでしょうか」
仏が言った。

「人を教えて薩婆若の中に入らせて留まらせることができる。このような仏道に導いてくれる友人に親近し、はかって〈教えを〉受け、恭敬し、供養する。これを仏道に導いてくれる友人に親近すると呼ぶのである」

云何菩薩求法。
佛言。
菩薩應薩婆若心求法。不墮聲聞辟支佛地。是名求法。

「菩薩が理法を求めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩が薩婆若に応ずる心で理法を求め、声聞・辟支仏の地位に堕さない。これを理法を求めると呼ぶのである」

云何菩薩常出家治地業。
佛言。
菩薩世世不雜心出家。佛法中出家無能障
者是名常出家治地業。

「菩薩が常に出家し地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩は世々雑心で〈外道に〉出家せず、仏法中に出家し、さまたげることのできる者がない。これを常に出家し地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」

云何菩薩愛樂佛身治地業。
佛言。
若菩薩見佛身相。乃至阿耨多羅三藐三菩提終不離念佛。是名愛樂佛身治地業。

「菩薩が仏身を信じ求めて地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「例えば菩薩が仏身という姿かたちを見、さらに阿耨多羅三藐三菩提
(アヌッタラサムャクサンボーディ、最上にして普遍的の覚り)まで終に念仏を離れない。これを仏身を信じ求めて地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」

云何菩薩演出法教治地業。
佛言。
菩薩若佛現在若佛滅度後。為
法初中後善。妙義好語淨潔純具。所謂修多羅乃至憂波提舍。是名演出法教治地業。
「菩薩が法教を演出し地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩は例えば仏が現在し、例えば仏の滅度の後も衆生の為に、初・中・後に善く、妙義・好語・浄潔・純具であって、いわゆる修多羅
(スートラ:経)から憂波提舎(ウバデーシャ:論議経)説法する。これを法教を演出し地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」
云何菩薩破於慢治地業。
佛言。
菩薩破是
慢故終不生下賤家。是名破於慢治地業。
「菩薩が驕慢を破り地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩はこの驕慢を破るから終に下賤の家に生じない。これを驕慢を破り地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」

云何菩薩實語治地業。
佛言。
菩薩如所
行。是名實語治地業。

「菩薩が実語の地位に応じた修業を治めるとはどういうことでしょうか」
仏が言った。
「菩薩は説く所のとおり行ずる。これを実語の地位に応じた修業を治めると呼ぶのである。

是為菩薩摩訶薩初住地中修行十事治地業。

これを菩薩摩訶薩が初めに留まる地位の中に十事を修行し地位に応じた修業を治めると呼ぶのである」

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著作 アルキメデスの館