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摩訶般若波羅蜜経広乗品第十九(丹本名為四念処品)

五、ブッダ、仏十力・四無所畏・四無智・十八不共法を説く


復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂佛十力。
何等十。
佛如實知一切法是處不是處相。一力也。
(仏十力)
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、いわゆる仏のもつ十の力である。
何を十というのであろうか。
仏は実のごとく一切の事物について、姿かたちの妥当・不当を知ることができる。一番目の力である。
如實知他生過去未來現在諸業諸受法。知造業處知因知報。二力也。
如實知
SAT版有『。』)諸禪解三昧定垢淨分別相。三力也。
実のごとく他の衆生の過去・未来・現在の諸々の行い・諸々の感じとる事物を知り、行いを造るところを知り、因縁を知り、報いを知ることができる。二番目の力である。
実のごとく諸々の禅・解脱への三昧・定の姿かたちの、垢ついている・浄いを分別して知ることができる。三番目の力である。
如實知他生諸根上下相。四力也。
如實知他
生種種欲解。五力也。
実のごとく他の衆生の諸々の感覚器官の姿かたちの上・下を知ることができる。四番目の力である。
実のごとく他の衆生の種々の理解しようと欲することを知ることができる。五番目の力である。
如實知世間種種無數性。六力也。
如實知一切至處道。七力也。
実のごとく世間の種々の無数の本性を知ることができる。六番目の力である。
実のごとく一切のいたる所の道を知ることができる。七番目の力である。
知種種宿命有相有因。一世二世乃至百千世劫。初劫盡我在彼生中生。如是姓如是名。如是飲食苦樂壽命長短。
彼中死是間生。是間死還生是間。
此間生名姓飲食苦樂壽命長短亦如是。八力也。
種々の宿命に姿かたちがあり、因縁があるのを知ることができる。
一世・二世から百千世劫までにわたって、最初の劫が尽きて自分は彼の衆生の中に生れ、このような姓、このような名、このような飲食・苦楽・寿命の長短で、彼の中に死し、この世界に生まれ、この世界に死し、還ってこの世界に生まれる。
この世界に生れて、名と姓・飲食・苦楽・寿命の長短はまた同じようである。八番目の力である。
佛天眼淨過諸天眼。見生死時生時。端正醜陋若大若小。若墮惡道若墮善道。
如是業因
受報。是諸生惡身業成就。惡口業成就。惡意業成就。
謗毀聖人受邪見。業因
故。身壞死時入惡道生地獄中。
是諸
生身善業(善身業ならん)成就。SAT版無『。』)口善業(善口業ならん)成就。意善業(善意業ならん)成就。
不謗毀聖人受正見因
故。身壞死時入善道生天上。九力也。
仏の天眼は浄く、諸々の天眼を超過し、衆生が死ぬ時・生れる時、端正であるか・醜陋であるか、大きいか、もしくは小さいか、悪道に堕し、もしくは善道に堕すのを、
このような行いの因縁による受報として、この諸々の衆生の悪い身体による行いが成就し、悪い口による行いが成就し、悪い心による行いが成就し、
聖人を謗毀し、邪見の行いの因縁を受けるから、身体が壊して死ぬ時、悪道に入り地獄中に生れるのを、
この諸の衆生の善い身体による行いが成就し、善い口による行いが成就し、善い心による行いが成就し、
聖人を謗毀せず、正見の因縁を受けるから、身体が壊して死ぬ時、善道に入り、天上に生れるのを見ることができる。九番目の力である。
佛如實知諸漏盡故。無漏心解。無漏慧解。現在法中自證知入是法。所謂我生已盡梵行已作。從今世不復見後世。十力也。
須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故。
仏は実のごとく諸々の煩悩の尽きるのを知るから、煩悩のない心が解脱し、煩悩のない智慧が解脱し、現在の事物の中で自証してこの理法に入るのを知ることができる。いわゆる自らの生はすでに尽き、欲を断つ修行をすでに成し遂げ、今世よりまた後世を見ることはない。十番目の力である。
須菩提。これを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づける。〈実体として〉認知することができないからである。

復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂四無所畏。
何等四。
佛作誠言。
我是一切正智人。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘
如實難言。是法不知乃至不見是微畏相。
以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大
中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘實不能轉。一無畏也。
(四無所畏)
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、いわゆる四つの畏れのない心境の形式である。
何を四というのであろうか」

仏は誠の言葉をいった。
「私は正しい一切智をもつものである。たとえば沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、あからさまに非難して『こんなことは知らない』といい、さらに微かに畏れている姿かたちに気付かない。
こういうわけで私は安隠を得、無所畏を得て、聖主の処に安住し、大衆の中にあって師子吼し、梵輪を転ずることができる。諸々の沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、実に〈梵輪を〉転ずることはできないのである。これが第一の畏れのない心境である」
佛作誠言。
我一切漏盡。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘
如實難言。是漏不盡乃至不見是微畏相。
以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大
中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘實不能轉。二無畏也。
仏は誠の言葉をいった。
「私は一切の煩悩を尽くした。たとえば沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、あからさまに非難して『この煩悩は尽きない』といい、さらに微かに畏れている姿かたちに気付かない。。

こういうわけで私は安隠を得、無所畏を得て、聖主の処に安住し、大衆の中にあって師子吼し、梵輪を転ずることができる。諸々の沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、実に〈梵輪を〉転ずることはできないのである。これが第二の畏れのない心境である」
佛作誠言。
障法。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘如實難言。受是法不障道。乃至不見是微畏相。
以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大
中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘實不能轉。三無畏也。
仏は誠の言葉をいった。
「私は理法の〈実現の〉障害となるものをこのように説こう。たとえば沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、あからさまに非難して『この理法を受けたが道の障害となるものはない』といい、さらに微かに畏れている姿かたちに気付かない。

こういうわけで私は安隠を得、無所畏を得て、聖主の処に安住し、大衆の中にあって師子吼し、梵輪を転ずることができる。諸々の沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、実に〈梵輪を〉転ずることはできないのである。これが第三の畏れのない心境である」
佛作誠言。
我所
聖道。能出世間隨是行能盡苦。若有沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘如實難言。行是道不能出世間不能盡苦。乃至不見是微畏相。
以是故。我得安隱得無所畏安住聖主處。在大
中師子吼能轉梵輪。諸沙門婆羅門若天若魔若梵。若復餘實不能轉。四無畏也。
須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故。
仏は誠の言葉をいった。
「私が説くことは聖なる道であり、俗世間から出ることができる。したがってこの行は苦を尽くすことができる。たとえば沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、あからさまに非難して『この道を行じても俗世間から出ることはできない、苦を尽くすことはできない』といい、さらに微かに畏れている姿かたちに気付かない。
こういうわけで私は安隠を得、無所畏を得て、聖主の処に安住し、大衆の中にあって師子吼し、梵輪を転ずることができる。諸々の沙門・婆羅門、もしくは天、もしくは魔、もしくは梵、もしくはまたその他の衆は、実に〈梵輪を〉転ずることはできないのである。これが第四の畏れのない心境である」と。
「須菩提。これを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づける。〈実体として〉認知することができないからである。

復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂四無
智。
何等四。
義無
法無辭無
須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故。
(四無智)
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、いわゆる四つの妨げられることのない智である。
何を四というのであろうか。
理法の意義における妨げのないこと・理法における妨げのないこと・言語上の妨げのないこと・楽に説法するに妨げのないことである。
須菩提。これを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づける。〈実体として〉認知することができないからである。

復次須菩提。菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂十八不共法。
何等十八。
一諸佛身無失。二口無失。三念無失。
(十八不共法)
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の摩訶衍とは、いわゆる十八の〈仏以外には〉具わらない事物である。
何を十八というのであろうか。
一に諸々の仏は、身体に過失が無く、二に口に過失が無く、三に念に過失が無い、
四無異相。五無不定心。六無不知己(已ならん)捨心。 四に〈相手によって〉異なる姿かたち〈を見せることが〉無く、五に不安定の心が無く、六に知らないでに見捨てる心が無い、
七欲無減。八精進無減。九念無減。十慧無減。十一解無減。十二解知見無減。 七に〈善への〉欲が減ることが無く、八に精進が減ることが無く、九に念が減ることが無く、十に慧が減ることが無く、十一に解脱が減ることが無く、十二に解脱知見が減ることが無い、
十三一切身業隨智慧行。十四一切口業隨智慧行。十五一切意業隨智慧行。 十三に一切の身体による行いを智慧にしたがって行じ、十四に一切の口による行いを智慧にしたがって行じ、十五に一切の意による行いを智慧にしたがって行ずる、

十六智慧知見過去世無閡無障。十七智慧知見未來世無閡無障。十八智慧知見現在世無閡無障。
須菩提。是名菩薩摩訶薩摩訶衍。以不可得故。

十六に智慧は過去世を知見して妨げられること・さえぎられることなく、十七に智慧は未来世を知見して妨げられること・さえぎられることなく、十八に智慧現在世を知見して妨げられること・さえぎられることが無い。
須菩提。これを菩薩摩訶薩の摩訶衍と名づける。〈実体として〉認知することができないからである。

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著作 アルキメデスの館