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摩訶般若波羅蜜経広乗品第十九(丹本名為四念処品)

一、ブッダ、スブーティに三十七道品を説く(一)


佛告須菩提。
菩薩摩訶薩摩訶衍。所謂四念處。
何等四。
須菩提。菩薩摩訶薩
身中循身觀亦無身覺。以不可得故。
(四念処の一)
仏は須菩提(スブーティ)に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩の摩訶衍
(マハーヤーナ、大乗)とは、いわゆる四つの観行(身・受・心・法)である。
四つとは何だろうか。
須菩提。菩薩摩訶薩は身体の内面中を身体を循って観じながら、また身に覚えることはない。〈実体として〉認知することができないからである。
外身中外身中循身觀亦無身覺。以不可得故。懃精進一心除世間貪憂。
法。外受外心外法。外受外心外法。循法觀亦無法覺。以不可得故。懃精進一心除世間貪憂。
須菩提。菩薩摩訶薩云何
身中循身觀。
身体の外面中・身体の内面と外面中をも身体を循って観じながら、また身に覚ることはない。〈実体として〉認知することができないからであり、つとめて精進して一心に世間の貪憂を除くのである。
内面の感覚・心の内面・事物の内面、外面の感覚・心の外面・事物の外面、内面と外面の感覚・心の内面と外面・事物の内面と外面を循って観じながら、また理法に覚ることはない。〈実体として〉認知することができないから、つとめて精進して一心に世間の貪憂を除くのである。
須菩提。菩薩摩訶薩が身体の内面中を身体を循って観ずるとはどういうことであろうか。
須菩提。若菩薩摩訶薩行時知行。
住時知住。
坐時知坐。
臥時知臥。
知身所行如是知。
須菩提。菩薩摩訶薩如是
身中循身觀。懃精進一心除世間貪憂。以不可得故。
(身威儀観)須菩提。もしも菩薩摩訶薩が行く時に行くということを知り、
止まる時に止まるということを知り、
坐る時に坐るということを知り、
横になる時に横になるということを知り、
身の行ずるところを知れば、次のように知るのである。
須菩提。菩薩摩訶薩はこのように身体の内面中に身体を循って観じ、つとめて精進し一心に世間の貪憂を除く。〈実体として〉認知することができないからである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩若來若去。視瞻一心屈申(伸ならん)俯仰。服僧伽梨執持衣缽。飲食臥息坐立睡覺。語默入出禪定。
亦常一心。如是須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
身中循身觀以不可得故。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩は、もしは来たり、もしくは去り、一心に見詰め、屈伸俯仰し、僧伽梨(サンガーティー、袈裟)を身に付け、衣缽を執持し、飲食し、伏せて休息し、坐り立ち、睡り覚め、語らい黙し、禅定に入出する。
また常に一心に、このように須菩提、菩薩摩訶薩は
般若波羅蜜を行じ、身体の内面中に身体を循って観ずる。〈実体として〉認知することができないからである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩身中循身觀時。
一心念入息時知入息。出息時知出息。
入息長時知入息長。出息長時知出息長。
入息短時知入息短。出息短時知出息短。
(数息観) また次に須菩提。菩薩摩訶薩が身体の内面中に身体を循って観ずる時、
一心に念じ、息を吸う時息を吸うことを知り、息を出す時息を出すことを知り、
長く息を吸う時長く息を吸うことを知り、長く息を出す時長く息を出すことを知り、
入息短き時入息短きを知り、短く息を出す時短く息を出すことを知る。
譬如(旋ならん)師若(旋ならん)師弟子。繩長知長繩短知短。
菩薩摩訶薩亦如是。
SAT版無『。』)一心念入息時知入息。出息時知出息。
入息長時知入息長。出息長時知出息長。
入息短時知入息短。出息短時知出息短。
たとえば軽業師もしくは軽業師の弟子が、縄が長ければ長いことを知り、縄が短かければ短いことを知るように、
菩薩摩訶薩もまたこのように、一心に念じ、息を吸う時入息を知り、息を出す時息を出すことを知り、
長く息を吸う時長く息を吸うことを知り、長く息を出す時長く息を出すことを知り、
入息短き時入息短きを知り、短く息を出す時短く息を出すことを知るのである。
如是須菩提。菩薩摩訶薩身中循身觀。懃精進一心除世間貪憂。以不可得故。 このように須菩提。菩薩摩訶薩はこのように身体の内面中を身体を循って観じ、つとめて精進し一心に世間の貪憂を除く。〈実体として〉認知することができないからである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩觀身四大作是念。
身中有地大水大火大風大。
譬如屠牛師若屠牛弟子。以刀殺牛分作四分。作四分已若立若坐觀此四分。
(四大観)また次に須菩提。菩薩摩訶薩は身の四大(世界を構成する四要素)を観て次のように思うのである。
『身体中には地大・水大・火大・風大〈という要素〉があるのだ』
たとえば屠牛師もしくは屠牛師の弟子が、刀で牛を殺し、四つに分けて、四つに分けてしまったら、もしは立ち、もしくは坐り、この四つの部分を観るようなものである。
菩薩摩訶薩亦如是。行般若波羅蜜時。種種觀身四大地大水大火大風大。
如是須菩提。菩薩摩訶薩
身中循身觀。以不可得故。
菩薩摩訶薩もまた、このように般若波羅蜜を行ずる時、種々の身体の四大、地大・水大・火大・風大を観るのである。
このように須菩提。菩薩摩訶薩は身体の内面中に身体を循って観ずる。〈実体として〉認知することができないからである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩觀身。從足至頂周匝薄皮。種種不淨充滿身中。作是念。 (身中の不浄観)また次に須菩提。菩薩摩訶薩は身体の内を、足より頭頂に至るまで薄皮を周りめぐり、種々の不浄なものが身体中に充満しているのを観て、次のように思うのである。
身中有髮毛爪齒薄皮厚皮筋肉骨髓脾腎心膽肝肺小腸大腸胃。屎尿垢汗涕涎唾膿血白淡(月+冊)腦膜。
譬如田夫倉中隔盛雜穀。種種充滿稻麻黍粟豆麥。明眼之人開倉即知。是麻是黍是稻是粟是麥是豆。分別悉知。
『身中には、髪毛・爪・歯・薄皮・厚皮・筋肉・骨髄・脾臓・腎臓・心臓・胆嚢・肝臓・肺臓・小腸・大腸・胃と膀胱、屎・尿・垢・汗・涙涕・涎・唾・膿・血・黄白や淡い痕跡・脂肪・脳膜があるのだ』
たとえば田夫の、倉中に隔離して雑穀を盛り、種々に稲・麻・黍・粟・豆・麦を充満したのを、明眼の人が倉を開けばすぐに、これは麻、これは黍、これは稲、これは粟、これは麦、これは豆と知り、分別して悉く知ってしまうようなものである。

菩薩摩訶薩亦如是。觀是身從足至頂周匝薄皮種種不淨充滿身中。髮毛爪齒乃至腦膜。
如是須菩提。菩薩摩訶薩觀
身。懇(懃ならん)精進一心除世間貪憂。以不可得故。

菩薩摩訶薩もまたこのように、この身体を足より頂に至るまで薄皮を周りめぐり、種々の不浄なものが身体中に充満しているのを、髪毛・爪歯から脳膜まであると観ずるのである。
このように須菩提。菩薩摩訶薩は身体の内面を観じ、つとめて精進し一心に世間の貪憂を除く。〈実体として〉認知することができないからである。

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著作 アルキメデスの館