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摩訶般若波羅蜜経荘厳品第十七

四、ブッダ、菩薩は衆生のために大荘厳することを説く

須菩提白佛言。
世尊。何因
故。薩婆若非作法。是生亦非作法。菩薩為是生大莊嚴。
須菩提が仏に申し上げた。
「世尊。どういうわけで、薩婆若は作られた事物ではなく、この衆生もまた作られた事物ではなく、菩薩はこの衆生のために大荘厳するのでしょうか」
佛語須菩提。
作者不可得故。薩婆若非作非起法。是諸
生亦非作非起法。
仏が須菩提に語らった。
「作る者は〈実体として〉認知できないからである、薩婆若は作られたのではなく、生起した事物ではなく、この諸々の衆生もまた作られたのではなく、生起した事物ではないのである。
何以故。
須菩提。色非作非不作。
受想行識非作非不作。
なぜであろうか。
須菩提。物質的存在は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
感覚・知覚・意志・意識は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
眼非作非不作。
乃至意非作非不作。
眼は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
さらにまで心は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
色乃至法。
眼識乃至意識。
眼觸乃至意觸。
眼觸因
生受乃至意觸因生受。非作非不作。
色から事物まで、
視覚から認知機能まで、
眼と外界との接触から心と外界との接触まで、
眼と外界との接触により生じる判断から心と外界との接触により生じる判断までは作られたのではなく、作られなかったのでもない。
須菩提。我非作非不作。
乃至知者見者非作非不作。
須菩提。自我は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
さらに知る者・見る者までは作られたのではなく、作られなかったのでもない。
何以故。
是諸法畢竟不可得故。
須菩提。夢非作非不作。
なぜであろうか。
この諸々の事物は究極的に〈実体として〉認知できないからである。
須菩提。夢は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
何以故。
畢竟不可得故。
化非作非不作。
なぜであろうか。
究極的に〈実体として〉認知できないからである。
幻・響き・影・陽炎・変化は作られたのではなく、作られなかったのでもない。
何以故。
畢竟不可得故。
なぜであろうか。
究極的に〈実体として〉認知できないからである。
須菩提。空非作非不作。畢竟不可得故。
乃至無法有法空非作非不作。畢竟不可得故。
須菩提。内面の空は作られたのではなく、作られなかったのでもない、究極的に〈実体として〉認知できないからである。
さらに存在せず存在する事物の空までは作られたのではなく、作られなかったのでもない、究極的に〈実体として〉認知できないからである。
須菩提。四念處非作非不作。畢竟不可得故。
乃至十八不共法非作非不作。
須菩提。四つの観行は作られたのではなく、作られなかったのでもない、究極的に〈実体として〉認知できないからである。
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物までは作られたのではなく、作られなかったのでもない。
何以故。
是法皆畢竟不可得故。
なぜであろうか。
この事物はみな究極的に〈実体として〉認知できないからである。
須菩提。諸法如。法相法性法住法位實際。非作非不作。畢竟不可得故。 須菩提。諸々の事物のあるがままの実体・事物の姿かたち・固有の本性・事物の有るべき場所・事物の位置・究極的な真実は作られたのではなく、作られなかったのでもない。究極的に〈実体として〉認知できないからである。
須菩提。菩薩非作非不作。畢竟不可得故。 須菩提。菩薩は作られたのではなく、作られなかったのでもない。究極的に〈実体として〉認知できないからである。
薩婆若及一切種智。非作非不作。畢竟不可得故。 薩婆若および一切種智は作られたのではなく、作られなかったのでもない、究極的に〈実体として〉認知できないからである。
以是因故。須菩提。薩婆若非作非起法。 こういうわけで、須菩提。薩婆若は作られたのではなく・生起した事物でもないのである。
生亦非作非起法。
菩薩為是
生大莊嚴。

この衆生もまた作られたのではなく・生起した事物でもない。
菩薩はこの衆生のために大荘厳するのである」

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著作 アルキメデスの館