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摩訶般若波羅蜜経弁才品第十五(丹本名為富楼那品)

八、プールナマイトラーヤニープトラ、菩薩摩訶薩が大乗に発趣して諸禅に入ることを説く

慧命舍利弗問富樓那彌多羅尼子。
云何菩薩摩訶薩發趣大乘。

長老の舎利弗が、富楼那弥多羅尼子に質問した。
「どうして菩薩摩訶薩は大乗に発趣するというのだろうか」
富樓那語舍利弗。
菩薩摩訶薩行六波羅蜜時。
離諸欲離諸惡不善法有覺有觀。
離生喜樂入初禪。乃至入第四禪中。
富楼那舎利弗に語らった。
「菩薩摩訶薩は六つの波羅蜜を行じるとき、
諸々の欲を離れ、諸々の悪・不善法を離れて、覚って観方をもち、
生じること・喜ぶこと・楽することを離れて、初禅に入り、さらに第四禅中にまで入るのです。
以慈廣大無二無量。無怨恨無惱心行。遍滿一方二三四方四維上下。遍一切世間。
悲喜捨心亦如是。
慈は広大・無二・無量ですから、怨恨はなく・悩みもなく、心の行は一方、二・三・四方、四維、上下に遍く満ちて、一切の世間に普遍です。
悲・喜・捨の心もまたこのようです。
是菩薩入禪時起時。諸禪無量心及支共一切生迴向薩婆若。
是名菩薩摩訶薩禪那波羅蜜發趣大乘。
この菩薩は禅に入るとき、起つとき、諸々の禅の無量の心及びその派生分を、一切衆生と共に薩婆若に迴向します。
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜において大乗に発趣すると名づけるのです。
是菩薩摩訶薩住禪無量心作是念。
我當得一切種智。為斷一切
生煩惱故當法。
是名菩薩摩訶薩行禪那波羅蜜時檀那波羅蜜。
この菩薩摩訶薩は禅の無量心に留まり、次のように思うのです。
『私はまさに一切種智(一切空なるがゆえに平等・無差別であることを知りながら現象の諸相の種別を見極める智慧)を得て、一切の衆生の煩悩を断ち切るために、まさに理法を説くべきである』
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜を行じるときの檀那波羅蜜と名づけるのです。
若菩薩摩訶薩應薩婆若心。修初禪住初禪。二三四禪亦如是不受餘心。所謂聲聞辟支佛心。
是名菩薩摩訶薩行禪那波羅蜜時尸羅波羅蜜。
もしくは菩薩摩訶薩は、薩婆若に応じる心で、初禅を修し初禅に留まり、二・三・四禅もまた同じように留まり、
その他の心、いわゆる声聞・辟支仏の心を感じません。
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜を行じるときの尸羅波羅蜜と名づけるのです。
若菩薩摩訶薩。應薩婆若心入諸禪作是念。
我為斷一切
生煩惱故當法。是諸心欲樂忍。
是名菩薩摩訶薩行禪那波羅蜜時
提波羅蜜。
もしくは菩薩摩訶薩は、薩婆若に応じる心で諸禅に入り、次のように思うのです。
『私は一切の衆生の煩悩を断ち切るためにまさに理法を説くべきである。この諸々の心を欲し、楽い、忍ぼう』
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜を行じるときの
提波羅蜜と名づけるのです。
若菩薩摩訶薩應薩婆若心入諸禪。諸善根皆迴向薩婆若懃修不息。
是名菩薩摩訶薩行禪那波羅蜜時毘梨耶波羅蜜。
もしくは菩薩摩訶薩は、薩婆若に応じる心で諸々の禅に入り、諸々の善根をみな薩婆若に迴向し、ねんごろに修めて休むことがありません。
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜を行じるときの毘梨耶波羅蜜と名づけるのです。
若菩薩摩訶薩應薩婆若心入四禪及支。
觀無常相苦相無我相空相無相相無作相。
共一切
生迴向薩婆若。
是名菩薩摩訶薩行禪那波羅蜜時般若波羅蜜。

もしくは菩薩摩訶薩は、薩婆若に応じる心で四つの禅及び枝葉に入り、
恒常でないことの姿かたち・苦の姿かたち・自我がないことの姿かたち・空の姿かたち・姿かたちがないことの姿かたち・作為がないことの姿かたちを観じ、
一切衆生と共に薩婆若に迴向します。
これを菩薩摩訶薩が禅那波羅蜜を行じるときの般若波羅蜜と名づけるのです。

舍利弗是名菩薩摩訶薩發趣大乘。 舎利弗、これを菩薩摩訶薩が大乗に発趣すると名づけるのです。

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著作 アルキメデスの館