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摩訶般若波羅蜜経楽説品第十四(丹本作断見品)

二、スブーティ、摩訶薩と名づける理由を説明する

爾時須菩提白佛言。
世尊。我亦欲
所以為摩訶薩。
佛言。
便
その時須菩提が仏に申し上げた。
「世尊。私もまた摩訶薩と呼ぶ理由を説明しようと思います」
仏が言った。
「解り易く説明しなさい」
須菩提言。
世尊。是阿耨多羅三藐三菩提心。無等等心。不共聲聞辟支佛心。
須菩提が言った。
「世尊。これは阿耨多羅三藐三菩提(アヌッタラサムャクサンボーディ、最上にして普遍的の覚り)の心、等しいものがまったくない心、声聞・辟支仏にはともなわない心があるからです。
何以故。
是一切智心無漏不繫故。
是一切智心無漏不繫中亦不著。
以是因
故名摩訶薩。
どうしてでしょうか。
このすべてを概括的に把握する智慧の心は無煩悩に繋がらないからです。
このすべてを概括的に把握する智慧の心が無煩悩に繋がらないということにもまた執着しません。
こういうわけで摩訶薩と名づけるのです」
舍利弗語須菩提。
何等為菩薩摩訶薩無等等心。不共聲聞辟支佛心。
舎利弗が須菩提に語らった。
「菩薩摩訶薩の等しいものがまったくない心、声聞・辟支仏にはともなわない心とはどのようなものなのでしょうか」
須菩提言。
菩薩摩訶薩從初發意以(已ならん)來。終不見法有生有滅。有摎L減有垢有淨。
須菩提が言った。
「菩薩摩訶薩が最初に覚りへ発意したとき以後、最後まで事物には生じることがあり、滅することがあり、増えることがあり、減ることがあり、垢つくことがあり、浄まることがあると見ないこと、
舍利弗。若法無生無滅。乃至無垢無淨。
是中無聲聞心無辟支佛心。無阿耨多羅三藐三菩提心無佛心。

舎利弗、もし事物に、生じることがなく、滅することがなく、さらに垢ついていず、浄いことまでもがなく、
この中に声聞の心がなく、辟支仏の心がなく、阿耨多羅三藐三菩提の心がなく、仏の心もない。

舍利弗。是名菩薩摩訶薩無等等心。不共聲聞辟支佛心。 舎利弗。これを菩薩摩訶薩の等しいものがまったくない心、声聞・辟支仏にはともなわない心と名づけるのです」
舍利弗語須菩提。
如須菩提
。一切智心無漏心不繫心中亦不著。
舎利弗が須菩提に語らった。
「須菩提が、すべてを概括的に把握する智慧の心が無煩悩の心に繋がらず、心の中にもまた執着しないと説くように、
須菩提。色亦不著。
受想行識亦不著。
四念處亦不著。
乃至十八不共法亦不著。
何以但
是心不著。
須菩提、物質的存在にもまた執着せず、
感覚・知覚・意志・意識にもまた執着せず、
四つの観行にもまた執着せず、
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物にまでもまた執着しないのに、
どういうわけで、ただこれらの心のみに執着しないと説くのでしょうか」
須菩提言。
如是如是。舍利弗。色亦不著乃至十八不共法亦不著。
須菩提が言った。
「そのとおり、そのとおり、舎利弗。物質的存在にもまた執着せず、さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物にまでもまた執着しないのです」
舍利弗語須菩提。
凡夫人心亦無漏不繫性空故。
諸聲聞辟支佛心諸佛心亦無漏不繫性空故。
舎利弗が須菩提に語らった。
「煩悩に迷う人の心も、また無煩悩の心に繋がらないはずです、本性は空ですから。
諸々の声聞・辟支仏の心・諸々の仏の心も、また無煩悩の心に繋がらないはずです、本性は空ですから」
須菩提言。
如是舍利弗。
須菩提が言った。
「そのとおり、舎利弗」
舍利弗言須菩提。
若色亦無漏不繫性空故。
受想行識亦無漏不繫性空故。
乃至意觸因
生受。亦無漏不繫性空故。
舎利弗が須菩提に言った。
「たとえば物質的存在もまた無煩悩に繋がらないはずです、本性は空ですから。
感覚・知覚・意志・意識もまた無煩悩に繋がらないはずです、本性は空ですから。
さらに心と外界との接触により生じる判断までも、また無煩悩に繋がらないはずです、本性は空ですから」
須菩提言
爾。
須菩提が言った。
「そのとおり」
舍利弗言。
四念處亦無漏不繫性空故。
乃至十八不共法。亦無漏不繫性空故。
舎利弗が言った。
「四つの観行はまた無煩悩に繋がらないはずです、本性は空ですから。
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物まで、また無煩悩に繋がらないはずです、本性は空ですから」
須菩提言
爾。
如舍利弗所言。
凡夫人心亦無漏不繫性空故。
乃至十八不共法。亦無漏不繫性空故。
須菩提が言った。
「そのとおり。
舎利弗の言うように、
凡夫人の心はまた無煩悩に繋がりません、本性は空ですから。
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物までもまた無煩悩に繋がりません、本性は空ですから」
舍利弗語須菩提。
如須菩提所
。空無心故不著是心。
須菩提。色無故不著色。
舎利弗が須菩提に語らった。
「須菩提が、空は無心であるからこの心に執着しないと次のように説いたように、
須菩提、物質的存在は無であるから、物質的存在に執着せず、
受想行識乃至意觸SAT版無觸字)生受無故不著受。
四念處無故不著四念處。
乃至十八不共法無故。不著十八不共法。
感覚・知覚・意志・意識から心と外界との接触により生じる判断までは無であるから、感覚〈知覚・意志・意識から心と外界との接触により生じる判断まで〉に執着せず、
四念処は無であるから、四念処に執着せず、
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物までは無であるから、十八の〈仏以外には〉具わらない事物に執着しないべきです」
須菩提言。
如是舍利弗。色無故色中不著。
乃至十八不共法無故。十八不共法中不著。
須菩提が言った。
「そのように舎利弗、物質的存在は無ですから、物質的存在の中に執着しません。
さらに十八の〈仏以外には〉具わらない事物までは無ですから、十八の〈仏以外には〉具わらない事物の中に執着しません。
如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
以阿耨多羅三藐三菩提心無等等心。不共聲聞辟支佛心。不念有是心亦不著是心。
用一切法無所有故。
以是故名摩訶薩
このように舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、
阿耨多羅三藐三菩提の心、等しいものがまったくない心、声聞・辟支仏にはともなわない心で、この心があると思わず、またこの心に執着しません、
一切の事物はあるということがないからです。
以上の理由で、摩訶薩と名づけられるのです」

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