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摩訶般若波羅蜜経句義品第十二

二、ブッダ、一切は空である中でまさに学び、知るべしと説く

須菩提白佛言。
何法不生不滅故無處所。何法不作不出不得不垢不淨故無處所。
須菩提は仏に申し上げた。
「生ぜず・滅しないからあるべき場所がないとはどんな事物なのでしょうか。
作さず・出でず・〈実体として〉認知せず・垢つかず・浄まらないからあるべき場所がないとはどんな事物なのでしょうか」
佛告須菩提。
色不生不滅故無處所。受想行識不生不滅故無處所。乃至不垢不淨亦如是。
仏は須菩提に次のように説いた。
「物質的存在は生ぜず・滅しないからあるべき場所がなく、感覚・知覚・意志・意識も生ぜず・滅しないからあるべき場所がなく、あるいは垢つかず・浄まらないこともまた同じように、
入界不生不滅故無處所。乃至不垢不淨亦如是。
四念處不生不滅故無處所。乃至不垢不淨亦如是。
〈十二〉入〈・十八〉界は生ぜず・滅しないからあるべき場所がなく、さらには垢つかず・浄まらないことまでもまた同じように、
四つの観行は生ぜず・滅しないからあるべき場所がなく、さらには垢つかず・浄まらないことまでもまた同じように、
乃至十八不共法不生不滅故無處所。乃至不垢不淨亦如是。
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有
SAT版『。』有)亦如是。
あるいは十八の〈仏以外には〉具わらない事物は生ぜず・滅しないからあるべき場所がなく、あるいは垢つかず・浄まらないことまでもまた同じように、
須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如四念處淨義。畢竟不可得。
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。四つの観行が浄いことの意味が究極的に〈実体として〉認知することができないように、
須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如四正懃乃至十八不共法淨義。畢竟不可得。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。四つの正しい勤めから、十八の〈仏以外には〉具わらない事物が浄いことの意味までが究極的に〈実体として〉認知することができないように、
菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如淨中我不可得。我無所有故。乃至淨中知者見者不可得。知見無所有故。 須菩提。浄いということの中に自我が〈実体として〉認知することができないように、自我のあるべき場所がないように、あるいは浄いということの中に知る者・見る者は〈実体として〉認知することができないように、知〈る者〉・見〈る者〉のあるべき場所はないから、
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。譬如日出時無有K闇。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。たとえば日が出る時に黒闇があるということがないように、
菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。譬如劫燒時無一切物。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。たとえば世界の寿命が〈尽きて〉焼け落ちる時に一切の物がないように、
菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。佛戒中無破戒。
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。仏の戒の中には破戒はないのである。
須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如佛定中無亂心。
佛慧中無愚癡。
佛解
中無不解
佛解
知見中無不解知見。
須菩提。仏の禅定の中に乱心がなく、
仏の智慧の中に愚痴がなく、
仏の解脱の中に解脱していないということがなく、
仏の〈自らの〉解脱の知見の中に解脱を知見していないということがないように、
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。譬如佛光中日月光不現。佛光中四(『天』欠字ならん)王天三十三天夜摩天兜率陀天化樂天他化自在天梵天。乃至阿迦貳(尼ならん)天光不現。 須菩提。たとえば仏の光の中に日月の光が現れず、仏の光の中に四天王天・三十三天・夜摩(ヤーマー)天・兜率陀(トゥシター)天・化楽天・他化自在天・梵衆天、あるいは阿迦尼(アカニシュター天の光が現れないように、
須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。
何以故。
須菩提、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
どういうわけであろうか。
是阿耨多羅三藐三菩提菩薩。菩薩句義是一切法皆不合不散。無色無形無對一相。所謂無相。 この『阿耨多羅三藐三菩提』『菩薩』『菩薩という字句の意味』は、この一切の事物はみな合わさることなく、散ることなく、物質的存在がなく、形がなく、対するものがない、一つの姿かたち(法華経的表現)であり、いわゆる姿かたちがないということである。
如是須菩提。菩薩摩訶薩一切法無相中。應當學亦應當知。 このように須菩提。菩薩摩訶薩は、一切の事物、妨げるもののない姿かたちの中に、応じてまさに学ぶべきであり、また応じてまさに知るべきである」

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著作 アルキメデスの館