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摩訶般若波羅蜜経句義品第十二

一、ブッダ、菩薩という字句に意味あることなしと説く

爾時須菩提白佛言。
世尊。云何為菩薩句義。
その時、須菩提(スブーティ)は仏に申し上げた。
「世尊。菩薩という字句の意味はどういうことなのでしょうか」
佛告須菩提。
無句義是菩薩句義。
何以故。
阿耨多羅三藐三菩提無有義處亦無我。
以是故。無句義是菩薩句義。
仏は須菩提に次のように説いた。
「字句の意味がないということが菩薩という字句の意味なのである。
どういうわけであろうか。
阿耨多羅三藐三菩提は、意味付けられる対象があるということがなく、自我もない、
であるから、字句の意味がないということが菩薩という字句の意味なのである。
須菩提。譬如鳥飛空無有跡。 須菩提。たとえば虚空を飛ぶ鳥の跡があるということがないように、
菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。譬如夢中所見無處所。
須菩提。たとえば夢中に見るものにあるべき場所がないように、
菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
菩薩句義無所有亦如是。
須菩提。譬如幻無有實義。如
如影如佛所化無有實義。
須菩提。たとえば幻に実際の意味があるということがないように、陽炎のように、響のように、影のように、仏の変化するものに、実際の意味があるということがないように、
菩薩句義無所有亦如是。 菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。譬如如法性法相法位實際無有義。 須菩提。たとえば、あるがままの実体・事物の固有の本性・事物の姿かたち・事物のあるがままの姿・究極的な真実、に意味があるということがないように、
菩薩句義無所有亦如是。 菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。譬如幻人色無有義。幻人受想行識無有義。 須菩提。たとえば幻の人に物質的存在の意味があるということがなく、幻の人に感覚・知覚・意志・意識の意味があるということがないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如幻人眼無有義乃至意無有義。
須菩提。如幻人色無有義乃至法無有義。眼觸因
生受。乃至意觸因生受無有義。
須菩提。幻の人に眼に意味があるということがなく、あるいは心に意味があるということがないように、
須菩提、幻の人にとって物質的存在に意味があるということなく、あるいは事物に意味があるということなく、目による認知により生じる判断から心による認知により生じる判断に意味があるということがないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如幻人行空時無有義。乃至行無法有法空無有義。 須菩提。幻の人が内面は空と行ずるときに意味があるということなく、あるいは存在せず存在するものは空と行ずることに意味があるということがないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如幻人行四念處乃至十八不共法無有義。 須菩提。幻の人の四つの観行から十八の〈仏以外には〉具わらない事物までを行ずるのに意味があるということがないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。色無有義是色無有故。 須菩提。多陀阿伽度(タターガタ、如来)・阿羅訶(アルハン、応供)・三藐三仏陀(サムャクサンブッダ、正智)の物質的存在に意味があるということがないように、この物質的存在があるということがないから、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如多陀阿伽度阿羅訶三藐三佛陀。受想行識無有義是識無有故。 須菩提。多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀の感覚・知覚・意志・意識に意味があるということがないように、この〈感覚・知覚・意志・〉意識があるということがないから、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如佛眼無處所乃至意無處所。色乃至法無處所。眼觸乃至意觸因生受無處所。 須菩提。仏の眼にあるべき場所がなく、あるいは心にあるべき場所がなく、物質的存在あるいは事物にあるべき場所がなく、目による認知あるいは心による認知から生じる感覚にあるべき場所がないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如佛空無處所。乃至無法有法空無處所。 須菩提。仏の内面の空にあるべき場所がなく、あるいは存在せず存在する事物の空にあるべき場所がないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如佛四念處無處所。乃至十八不共法無處所。 須菩提。仏の四つの観行にあるべき場所がなく、あるいは十八の〈仏以外には〉具わらない事物にあるべき場所がないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如有為性中無無為性義。
無為性中無有為性義。
須菩提。因縁によって生滅変化するものの本性中に恒常的なものの本性の意味がなく、
恒常的なものの本性中に因縁によって生滅変化するものの本性の意味がないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如不生不滅義無處所。 須菩提。生ぜず・滅しないことに意味のあるべき場所がないように、
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。菩薩句義無所有亦如是。 菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるとき、菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである。
須菩提。如不作不出不得不垢不淨無處所。 須菩提。作さず・出でず・〈実体として〉認知せず・垢つかず・浄まらないことにあるべき場所ないように、
菩薩句義無所有亦如是。 菩薩という字句に意味があるということがないのも、また同じようである」

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著作 アルキメデスの館