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摩訶般若波羅蜜経幻学品第十一(丹本云幻人品)

六、ブッダ、菩薩摩訶薩の悪知識について説く

須菩提白佛言。
云何菩薩摩訶薩行般若波羅蜜無方便。隨惡知識聞
是般若波羅蜜驚畏怖。
須菩提は仏に次のように申し上げた。
「菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに方便なしに、悪知識に随って、この般若波羅蜜が説かれるのを聞いて驚き、畏れ、怖がるとはどういうことなのでしょうか」
佛告須菩提。
菩薩摩訶薩離一切智心。
修般若波羅蜜。得是般若波羅蜜。
仏が須菩提に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩が、一切智を離れた心で、
般若波羅蜜を修すれば、この般若波羅蜜を〈実体として〉認知し、
念是般若波羅蜜禪那波羅蜜毘梨耶波羅蜜提波羅蜜尸羅波羅蜜檀那波羅蜜。皆得皆念。SAT版『。』無) この般若波羅蜜・禅那波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・提波羅蜜・尸羅波羅蜜・檀那波羅蜜を念じ、みな〈実体として〉認知し、みな憶念する。
復次須菩提。菩薩摩訶薩離薩婆SAT版婆字作法)若心。
觀色
空乃至無法有法空。
觀受想行識
空乃至無法有法空。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が薩婆若を離れた心で、
物質的存在は内面の空から存在せず存在する事物の空であると観じ、
感覚・知覚・意志・意識は内面の空から存在せず存在する事物の空であると観じ、
觀眼空乃至無法有法空。
乃至意觸因
生受空。乃至無法有法空。
於諸法空有所念有所得。
眼は内面の空あるは存在せず存在する事物の空であると、
そして心による認知より生ずる感覚は、内面は空から存在せず存在するものは空であると観じれば、
諸々の事物は空であると憶念することがあり、〈実体として〉認知することがある。
復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。離薩婆若心
修四念處亦念亦得。
乃至修十八不共法亦念亦得。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、薩婆若を離れた心で、
四つの観行を修すれば、また憶念し、また認知し、
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までを修し、また憶念し、また〈実体として〉認知する。
如是須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。以無方便故聞是般若波羅蜜驚畏怖。 このように須菩提。菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるに、方便がないなら、この般若波羅蜜を聞いて、驚き、畏れ、怖がるのである」
須菩提白佛言。
世尊。云何菩薩摩訶薩隨惡知識聞般若波羅蜜驚畏怖。
須菩提は仏に次のように申し上げた。
「世尊。菩薩摩訶薩が、悪知識に随って般若波羅蜜が説かれるのを聞いて驚き、畏れ、怖がるとはどういうことなのでしょうか」
佛告須菩提。
菩薩摩訶薩惡知識教離般若波羅蜜離禪那波羅蜜毘梨耶波羅蜜
提波羅蜜尸羅波羅蜜檀那波羅蜜。
仏が須菩提に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩の悪知識とは、般若波羅蜜を離れ、禅那波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・
提波羅蜜・尸羅波羅蜜・檀那波羅蜜を離れることを教える。

須菩提。是名菩薩摩訶薩惡知識。

須菩提。これを菩薩摩訶薩の悪知識と名づけるのである。

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著作 アルキメデスの館