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摩訶般若波羅蜜経幻学品第十一(丹本云幻人品)

四、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、驚かず、畏れず、怖がらないと説く

復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
觀色無常相是亦不可得。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、
物質的存在の恒常でないという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、
觀色苦相無我相空相無相相無作相寂滅相離相。是亦不可得。
受想行識亦如是。
物質的存在の苦であるという姿かたち・無自我であるという姿かたち・空であるという姿かたち・姿かたちがないという姿かたち・作為されたものではないという姿かたち・寂滅であるという姿かたち・離脱であるという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
是時菩薩作是念。
我當為一切
是無常法。
是亦不可得。
このとき菩薩は次のように考えるであろう、
『私はまさに一切の衆生の為に、この恒常でない理法を説くが、
これまた〈実体として〉認知できない。
當為一切苦相無我相空相無相相無作相寂滅相離相。
是亦不可得。
是名菩薩摩訶薩檀那波羅蜜。
まさに一切の衆生の為に苦であるという姿かたちを説くが、
無自我であるという姿かたち・空であるという姿かたち・姿かたちがないという姿かたち・作為されたものではないという姿かたち・寂滅であるという姿かたち・離であるという姿かたちを説くが、
これまた〈実体として〉認知できない』と。
これを菩薩摩訶薩の檀那波羅蜜と名づけるのである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩不以聲聞辟支佛心。觀色無常亦不可得。
不以聲聞辟支佛心。觀識無常亦不可得。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が声聞・辟支仏の心をもたないで、物質的存在は恒常でないと観ずるのも、また〈実体として〉認知できないのである。
声聞・辟支仏の心をもたないで、識は恒常でないと観ずるのも、また〈実体として〉認知できないのである。
不以聲聞辟支佛心。SAT版『。』無)觀色苦無我空無相無作寂滅離。亦不可得。
受想行識亦如是。
是名菩薩摩訶薩尸羅波羅蜜。
声聞・辟支仏の心をもたないで、物質的存在は苦・無自我・空・無相・無作・寂滅・離であると観ずるのも、また〈実体として〉認知できないのである。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
これを菩薩摩訶薩の尸羅波羅蜜と名づけるのである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。是諸法無常相。
乃至離相忍欲樂。
是名菩薩摩訶薩
提波羅蜜。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、この諸法が恒常でないという姿かたち、さらには離であるという姿かたちは忍・欲・楽である。
これを菩薩摩訶薩の
提波羅蜜と名づけるのである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。應薩婆若心。觀色無常相亦不可得。
乃至離相亦不可得。
受想行識亦如是。
應薩婆若心不捨不息。
是名菩薩摩訶薩毘梨耶波羅蜜。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、薩婆若に相応する心は、物質的存在は恒常でないという姿かたちをまた〈実体として〉認知できず、
さらには離であるという姿かたちまでもまた〈実体として〉認知できず、
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようであると観ずるのも、
薩婆若に相応する心は、捨てず、休息しないのである。
これを菩薩摩訶薩の毘梨耶波羅蜜と名づけるのである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。不起聲聞辟支佛意及餘不善心。
是名菩薩摩訶薩禪那波羅蜜。
復次須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。如是思惟。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、声聞・辟支仏の心及びその外の不善心を起こさないのである。
これを菩薩摩訶薩の禅那波羅蜜と名づけるのである。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、次のように思惟するのである、
不以空色故色空。
色即是空空即是色。
受想行識亦如是。
『物質的存在を空であるとすることによって物質的存在は空であるのではない。
物質的存在はそのままで空、
空はそのままで物質的存在なのである。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不以空眼故眼空。
眼即是空空即是眼。
乃至意觸因
生受。
不以空受。故受空。受即是空空即是受。
眼を空であるとすることによって眼は空であるのではない。
眼はそのままで空、空はそのままで眼なのである。
さらには心による認知から生ずる感覚〈もまた同じようである〉。
感覚を空であるとすることによって感覚は空であるのではない。
感覚はそのままで空、空はそのままで感覚なのである。
不以空四念處故。四念處空。四念處即是空。空即是四念處。 四つの観行を空であるとすることによって四つの観行は空であるのではない。
四つの観行はそのままで空、空はそのままで四つの観行なのである。
乃至不以空十八不共法故。十八不共法空。
十八不共法即是空。空即是十八不共法。
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物を空であるとすることによって十八の〈仏以外には〉具わらない事物は空であるのではない。
十八の〈仏以外には〉具わらない事物はそのままで空、空はそのままで十八の〈仏以外には〉具わらない事物なのである』

如是須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。不驚不畏不怖。

このように須菩提。菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるに、驚かず、畏れず、怖がらないのである」

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著作 アルキメデスの館