<<目次へ  <<戻る  訓読へ  次へ>>

 

摩訶般若波羅蜜経幻学品第十一(丹本云幻人品)

三、ブッダ、般若波羅蜜を行ずるに方便あれば恐れ怖がることはないと説く

須菩提白佛言。
世尊。新發大乘意菩薩聞
般若波羅蜜將無恐怖。
須菩提は仏に次のように申し上げた。
「世尊。新たに大乗の心を発した菩薩は般若波羅蜜が説かれるのを聞いて、まさに恐れ怖がることはないでしょうか」
佛告須菩提。
若新發大乘意菩薩於般若波羅蜜。無方便亦不得善知識。是菩薩或驚或怖或畏。
仏が須菩提に次のように説いた。
「例えば、新たに大乗の心を発した菩薩は、般若波羅蜜において方便もなく、また善知識
(仏道に導いてくれる友人)を得ていないので、この菩薩はあるいは驚き、あるいは怖がり、あるいは畏れるであろう」
須菩提白佛言。
世尊。何等是方便。菩薩行是方便。不驚不畏不怖。
須菩提は仏に次のように申し上げた。
「世尊。どういうことがこれこそ方便なのでしょうか、菩薩がこの方便を行じれば、驚かず、畏れず、怖がらないというのは」
佛告須菩提。
有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。應薩婆若心。
觀色無常相。是亦不可得。
觀受想行識無常相。是亦不可得。
仏が須菩提に次のように説いた。
「ある菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じたとしよう。薩婆若に相応する心は、
物質的存在は恒常でないという姿かたちがあり、これをまた〈実体として〉認知できないと観じ、
感覚・知覚・意志・意識は恒常でないという姿かたちがあり、これまた〈実体として〉認知できないと観ずるのである。
須菩提。是名菩薩摩訶薩行般若波羅蜜有方便。 須菩提。これを菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに方便があると名づけるのである。
復次須菩提。菩薩摩訶薩應薩婆若心。
觀色苦相。是亦不可得。受想行識亦如是。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の薩婆若に相応する心は、
物質的存在の苦であるという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
應薩婆若心。
觀色無我相。是亦不可得。受想行識亦如是。
復次須菩提。菩薩摩訶薩應薩婆若心。
薩婆若に相応する心は、
物質的存在の無自我であるという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
また次に須菩提。菩薩摩訶薩の薩婆若に相応する心は、
觀色空相是亦不可得。受想行識亦如是。
觀色無相相是亦不可得。受想行識亦如是。
觀色無作相是亦不可得。乃至識亦如是。
物質的存在の空であるという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
物質的存在の姿かたちがないという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
物質的存在の作為されたものではないという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、あるいは意識もまた同じようである。

觀色寂滅相是亦不可得。乃至識亦如是。
觀色離相是亦不可得。乃至識亦如是。
是名菩薩摩訶薩行般若波羅蜜有方便。

物質的存在の寂滅であるという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、さらには意識までもまた同じようである。
物質的存在が離脱しているという姿かたちをこれまた〈実体として〉認知できないと観じ、さらには意識までもまた同じようである。
これを菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに方便があるというのである。

<<目次へ  <<戻る  訓読へ  次へ>>

 

 

 

 

 

著作 アルキメデスの館