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摩訶般若波羅蜜経相行品第十(行相品ならん)

四、ブッダ、すべては究極的に清浄ゆえに認知できないと説く

舍利弗白佛言。
世尊。菩薩摩訶薩如是學。為學般若波羅蜜耶。
舎利弗が仏に申し上げた。
「世尊。菩薩摩訶薩がこのように学ぶことを、般若波羅蜜を学ぶというのでしょうか」
佛告舍利弗。
菩薩摩訶薩如是學。為學般若波羅蜜。是法不可得故。
乃至學檀那波羅蜜。是法不可得故。
仏が舎利弗に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩がこのように学ぶことを、般若波羅蜜を学ぶというのである。この理法は〈実体として〉認知することができないからである。
さらには檀那
(ダーナ:布施)波羅蜜までを学ぶというのも、この理法は〈実体として〉認知することができないからである。
學四念處乃至十八不共法。是法不可得故。 四つの観行あるいは十八の〈仏以外には〉具わらない事物を学ぶというのも、この理法は〈実体として〉認知することができないからである」
舍利弗白佛言。
世尊。如是菩薩摩訶薩學
(菩薩摩訶薩如是學ならん)般若波羅蜜。是法不可得耶。
舎利弗が仏に申し上げた。
「世尊。このように菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を学んでも、この理法は〈実体として〉認知することができないのでしょうか」
佛言。
如是菩薩摩訶薩學
(菩薩摩訶薩如是學ならん)般若波羅蜜。是法不可得。
仏が言った。
「このように菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を学べば、この理法は〈実体として〉認知することができないのである」
舍利弗言。
世尊。何等法不可得。
舎利弗が言った。
「世尊、どのような理法が〈実体として〉認知することができないのでしょうか」
佛言。
我不可得。乃至知者見者不可得。畢竟淨故。
仏が言った。
「自我は〈実体として〉認知することができない。さらには〈本質を〉知る者・見る者は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
五陰不可得。十二入不可得。十八界不可得。畢竟淨故。 人間を形成する五つの要素は〈実体として〉認知することができない。十二入(六根:眼・耳・鼻・舌・身体・心+六境:色・音・臭い・味・触・事物)は〈実体として〉認知することができない。十八の領域(十二入+六識:視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・認知機能)は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
無明不可得。畢竟淨故。
乃至老死不可得。畢竟淨故。
根源的無知は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
さらには老死までも〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
苦諦不可得。畢竟淨故。
集滅道諦不可得。畢竟淨故。
苦の真理は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
集・滅・道の真理は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
欲界不可得。畢竟淨故。
色界無色界不可得。畢竟淨故。
欲の領域は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
物質的存在の領域・無物質的存在の領域は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
四念處不可得。畢竟淨故。
乃至十八不共法不可得。畢竟淨故。
四つの観行は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までも〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
六波羅蜜不可得。畢竟淨故。
須陀
不可得。畢竟淨故。
斯陀含阿那含阿羅漢辟支佛不可得。畢竟淨故。
六つの波羅蜜は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
須陀
は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
菩薩不可得。畢竟淨故。
佛不可得。畢竟淨故。
菩薩は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである。
仏は〈実体として〉認知することができない。究極的に清浄だからである」
舍利弗。白佛言。世尊。
何等是畢竟淨。
舎利弗が仏に申し上げた。
「世尊。どんなものが究極的に清浄なのでしょうか」
佛言。
不出不生無得無作。是名畢竟淨。
仏が言った。
「出ず、生ぜず、得るものが無く、なすものが無い、これを究極的に清浄であるというのである」

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著作 アルキメデスの館