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摩訶般若波羅蜜経相行品第十(行相品ならん)

二、スブーティ、般若波羅蜜行の方便を説く

舍利弗問須菩提。
云何當知菩薩摩訶薩行般若波羅蜜有方便。
須菩提語舍利弗。
舎利弗が須菩提に質問した。
「どういうことなのでしょうか、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるに方便があるとまさに知るべきであるということは」
須菩提が舎利弗に説明した。
若菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜時。
不行色不行受想行識。
不行色相不行受想行識相。
「もしも菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思う時、
物質的存在を行ぜず、感覚・知覚・意志・意識を行ぜず、
物質的存在の姿かたちを行ぜず感覚・知覚・意志・意識の姿かたちを行ぜず、
不行色受想行識常。
不行色受想行識無常。
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は常であると行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は無常であると行ぜず、
不行色受想行識樂。
不行色受想行識苦。
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は楽であると行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は苦であると行ぜず、
不行色受想行識我。
不行色受想行識無我。
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は我であると行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は無我であると行ぜず、
不行色受想行識空。
不行色受想行識無相。
不行色受想行識無作。
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識が空であると行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は姿かたちがないと行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は作為されたものでないと行ぜず、
不行色受想行識離。
不行色受想行識寂滅。
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は離脱であると行ぜず、
物質的存在・感覚・知覚・意志・意識は寂滅を行じないのです。
何以故。
舍利弗。是色空為非色。
離空無色離色無空。
色即是空空即是色。
なぜでしょうか。
舎利弗。これは、物質的存在が空であるということは物質的存在ではないということです。
空を離れて物質的存在はなく、物質的存在を離れて空はありません。
物質的存在はそのままで空、空はそのままで物質的存在なのです。
受想行識空為非識。
離空無識離識無空。
空即是識識即是空。
感覚・知覚・意志・意識が空であるということは〈感覚・知覚・意志・〉意識ではないということです。
空を離れて意識はなく、意識を離れて空はありません。
空はそのままで意識、意識はそのままで空なのです。
乃至十八不共法空。為非十八不共法。離空無十八不共法。
離十八不共法無空。
空即是十八不共法。十八不共法即是空。
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までが空であるということは十八の〈仏以外には〉具わらない事物ではないということです。
空を離れて十八の〈仏以外には〉具わらない事物はなく、十八の〈仏以外には〉具わらない事物を離れて空はありません。
空はそのままで十八の〈仏以外には〉具わらない事物、十八の〈仏以外には〉具わらない事物はそのままで空なのです。
如是舍利弗。當知是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜有方便。
是菩薩摩訶薩如是行
SAT版『。』有)般若波羅蜜。能得阿耨多羅三藐三菩提。
このように、舎利弗。まさにこの菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じるに方便があると知るべきです。
この菩薩摩訶薩はこのように般若波羅蜜を行じ、阿耨多羅三藐三菩提を得たことを自覚することができるのです。
是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
行亦不受不行亦不受。
行不行亦不受。
非行非不行亦不受。
不受亦不受。
この菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じる時、
また行じることを感じとらず、また行じないことを感じとらず、
また行じ・行じないことを感じとらず、
また行じることでなく・行じないことでないことを感じとらず、
感じとらないことをまた感じとりません」
舍利弗語須菩提。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
何因
故不受。
舎利弗が、須菩提に向かって語りかけた。
「菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じる時、
どのような因縁があって感じとらないのでしょうか」
須菩提言。
是般若波羅蜜自性不可得故不受。
何以故。
無所有法(性字脱落ならん)是般若波羅蜜。
須菩提が言った。
「この般若波羅蜜自体の本性は〈実体として〉認知することができないから感じとらないのです。
なぜでしょうか。
あるということの本性がない理法ということが般若波羅蜜だからです。
舍利弗。以是故。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
行亦不受不行亦不受。
行不行亦不受。
非行非不行亦不受。
不受。亦不受。
舎利弗。ですから菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じるに、
また行じることを感じとらず、また行じないことを感じとらず、
また行じ・行じないことを感じとらず、
また行じることでなく・行じないことでないことを感じとらず、
感じとらないことをまた感じとらないのです。
何以故。
一切法性無所有。
不隨諸法行。
不受諸法相故。
なぜでしょうか。
一切の事物には本性が有るということがないから、
諸々の事物は行に従うということがなく、
諸々の事物の姿かたちを受け入れないからです。
是名菩薩摩訶薩諸法無所受三昧廣大之用。不與聲聞辟支佛共。
是菩薩摩訶薩行是三昧不離。
疾得阿耨多羅三藐三菩提。
これは菩薩摩訶薩の、諸々の事物を感じとることのない三昧と名づけられ、広大なるはたらきは聲聞・辟支仏のそれと同じではありません。
この菩薩摩訶薩がこの三昧を行じて離れることがなければ、
すみやかに阿耨多羅三藐三菩提を得たことを自覚するでしょう」

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著作 アルキメデスの館