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摩訶般若波羅蜜経相行品第十(行相品ならん)

一、スブーティ、方便なき行は行の姿かたちでしかないことを説く

爾時須菩提白佛言。
世尊。若菩薩摩訶薩無方便欲行般若波羅蜜。
そのとき須菩提が仏に申し上げた。
「世尊。もし菩薩摩訶薩
(ボーディサットヴァ:覚りを求める衆生+マハーサットヴァ:偉大な衆生が方便(衆生引導の仮の手段)なしで般若波羅蜜(プラジニャー:智慧+パーラミター:到彼岸、智慧の超越)を行じようと思うなら、
若行色為行相。
若行受想行識為行相。
もし物質的存在を行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識を行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是常行為行相。
若受想行識是常行為行相。
もし物質的存在とは常であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは常であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是無常行為行相。
若受想行識是無常行為行相。
もし物質的存在とは無常であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは無常であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是樂行為行相。
若受想行識是樂行為行相。
もし物質的存在とは楽であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは楽であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是苦行為行相。
若受想行識是苦行為行相。
もし物質的存在とは苦であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは苦であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是有行為行相。
若受想行識是有行為行相。
もし物質的存在とは有であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは有であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是空行為行相。
若受想行識是空行為行相。
もし物質的存在とは空であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは空であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是我行為行相。
若受想行識是我行為行相。
もし物質的存在とは我であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは我であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是無我行為行相。
若受想行識是無我行為行相。
もし物質的存在とは無我であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは無我であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是離行為行相。
若受想行識是離行為行相。
もし物質的存在とは離であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは離であると行じても行の姿かたちでしかなく、
若色是寂滅行為行相。
若受想行識是寂滅行為行相。
もし物質的存在とは寂滅であると行じても行の姿かたちでしかなく、
もし感覚・知覚・意志・意識とは寂滅であると行じても行の姿かたちでしかなくなってしまうのです。
世尊。若菩薩摩訶薩無方便行四念處為行相。
乃至行十八不共法為行相。
世尊、もし菩薩摩訶薩が方便なしで四つの観行を行じても行の姿かたちでしかなく、
あるいは十八の〈仏以外には〉具わらない事物を行じても行の姿かたちでしかなくなってしまうのです。
世尊。若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時作是念。
我行般若波羅蜜。
有所得行亦是行相。
世尊。もし菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、このように考えたとしましょう、
『私は般若波羅蜜を行じているのだ』と。
そのように〈実体として〉認知する行も、またこれも行の姿かたちでしかないのです。
世尊。若菩薩摩訶薩作是念。
能如是行是修行般若波羅蜜。
亦是行相。
當知是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜無方便。
世尊。もし菩薩摩訶薩がこのように考えたとしましょう、
『このように行ずることができれば、これは般若波羅蜜を行じていることになるのだ』と。
またこれも行の姿かたちでしかないのです。
まさに知るべきです、この菩薩摩訶薩は方便なしで般若波羅蜜を行じているのだと」
須菩提語舍利弗。
若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
色受念妄解。
若色受念妄解為色故作行。
若為色故作行
不能得離生老病死憂悲苦惱及後世苦。
須菩提が、舎利弗に説明した。
「もし菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、
物質的存在を感じてでたらめな見解を思い、
もしくは物質的存在を感じて物質的存在としてでたらめな見解を思ったために行じ、
もしくは物質的存在としたために行じるなら、
生老病死・憂悲・苦悩及び後世の苦から離れることはできないでしょう。
若菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時無方便。 もし菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時方便なしで、
眼受念妄解
乃至意。
色乃至法。
眼識界乃至意識界。
眼觸乃至意觸。
眼觸因
生受乃至意觸因生受。
眼を感じてでたらめな見解を思い、
さらには心までを、
色から事物までを、
視覚の領域から認知機能の領域までを、
目による認知から心による認知までを、
目による認知より生ずる感覚から心による認知より生ずる感覚までを、
四念處乃至十八不共法受念妄解。
為十八不共法故作行。若為作行。
四つの観行から十八の〈仏以外には〉具わらない事物までを感じてでたらめな見解を思い、
十八の〈仏以外には〉具わらない事物として行じ、もしくは行じるとしてしまうのです。
是菩薩不能得離生老病死憂悲苦惱及後世苦。
如是菩薩尚不能得聲聞辟支佛地證。
この菩薩は生老病死・憂悲・苦悩及び後世の苦から離れることはできないでしょう。
このような菩薩はなお、声聞
(聞いて理法を悟った小乗の聖者)・辟支仏(プラティエーカ・ブッダ、独力で悟りながら他人に説かない小乗の聖者)の境地の証を得ることはできません。
何況得阿耨多羅三藐三菩提無有是處。 どうやって阿耨多羅三藐三菩提(アヌッタラサムャクサンボーディ、最上にして普遍的の覚り)を得るというのでしょうか、これに関してはありえません。
舍利弗。當知是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜無方便。 舎利弗。まさに知るべきです、この菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるのに方便がないのだと」

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著作 アルキメデスの館