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摩訶般若波羅蜜経集散品第九

六、スブーティ、セーナーニー・バラモンの例を挙げて信を認知することを説く

先尼梵志。於一切智中終不生信。 先尼(セーナーニー、六師外道の一人サンジャイ・ヴァイラティプトラの舅)梵志(ブラフマンを志す者、即ちバラモン)は、一切智〈と呼ばれた六師〉の中にいる間は、ついに信を生じることはありませんでした。
云何爲信。信般若波羅蜜。分別解知稱量思惟。
不以相法。
不以無相法。
何を信であるとするのでしょうか。般若波羅蜜を信じ、分別・解知・称量・思惟するのに、
姿かたちのある事物にも依らず、
姿かたちの無い事物にも依りませんでした。
如是先尼梵志。不取相住信行中。
用性空智入諸法相中。
不受色
不受受想行識。
このように先尼梵志は、姿かたちを取らずに信行の中に留まり、
本性は空であるという智慧によって諸々の事物の姿かたちの中に入り、
物質的存在を感じとらず、
感覚・知覚・意志・認知機能を感じとりませんでした。
何以故。
諸法自相空故不可得受。
何故でしょうか。
諸々の事物の〈自らの〉姿かたちは空ですから受けることはできません。
是先尼梵志。
得故(故得ならん)見是智慧。
非外觀得故(故得ならん)見是智慧。
外觀得故(故得ならん)見是智慧。
この先尼梵志は、
〈自らの〉内を観察したから、この智慧を見ることができたのではありません、
〈自らの〉外を観察したから、この智慧を見ることができたのではありません、
〈自らの〉内と外を観察したから、この智慧を見ることができたのではありません、
亦不無智慧觀得故(故得ならん)見是智慧。
何以故
梵志不見是法。智者知法知處故。
また智慧を観察すること無しに、この智慧を見ることはできません。
何故でしょうか。
梵志は理法・智ある者・理法を知ること・知る処というものを見なかったからです。
此梵志非內色中見是智慧。
受想行識中見是智慧。
この梵志は、〈自らの〉内の物質的存在の中にこの智慧を見たのではありません。
〈自らの〉内の感覚・知覚・意志・認知機能の中にこの智慧を見たのではありません。
非外色中見是智慧。
非外受想行識中見是智慧。
〈自らの〉外の物質的存在の中にこの智慧を見たのではありません。
〈自らの〉外の感覚・知覚・意志・認知機能の中にこの智慧を見たのではありません。
外色中見是智慧。
外受想行識中見是智慧。
〈自らの〉内と外の物質的存在の中にこの智慧を見たのではありません。
〈自らの〉内と外の感覚・知覚・意志・認知機能の中にこの智慧を見たのではありません。
亦不離色受想行識中見是智慧。
外空故。
また物質的存在・感覚・知覚・意志・認知機能を離れた中にこの智慧を見たのではありません。
〈自らの〉内と外は空だからです。
先尼梵志此中心得信解於一切智。 先尼梵志は、こういった中で心は〈仏の〉一切智を信じ理解することができたのです。
以是故。梵志信諸法實相。
一切法不可得故。
ですから、梵志は諸々の事物の真実の姿かたちを信じました。
一切の理法は〈実体として〉認知することはできないからです。
如是信解已無法可受。
諸法無相無憶念故。
このように信じ理解したので受けるべき理法はなく、
諸々の事物は姿かたちがなく、憶念することがないからです。
是梵志於諸法亦無所得。
無取無捨。
取捨不可得故。

この梵志は諸々の事物についても〈実体として〉認知するということがなく、
取るということもなく、捨てるということもありませんでした。
取ること・捨てることは〈実体として〉認知することができないからです。

是梵志亦不念智慧。
諸法相無念故。
この梵志はまた智慧を念ずることもありませんでした。
諸々の事物の姿かたちには念ずるということがないからです。
世尊。是名菩薩摩訶薩般若波羅蜜。此彼岸不度故。 世尊。これを菩薩摩訶薩の般若波羅蜜と名づけます。此岸から彼岸へと渉ることはないからです。
是菩薩色受想行識不受。一切法不受故。
乃至諸陀羅尼三昧門亦不受。一切法不受故。
この菩薩は物質的存在・感覚・知覚・意志・認知機能を感じとりません。一切の事物は受けることはないからです。
さらには諸々の陀羅尼・三昧門までをまた感じとりません、 一切の事物は受けることはないからです。
是菩薩於是中亦不取涅槃。
未具足四念處乃至八聖道分。
未具足十力乃至十八不共法故。
この菩薩はこの中ではまた涅槃を取りません。
未だ四つの観行から八つの正しい道までを具足せず、
未だ十力から十八の〈仏以外には〉具わらない事物までを具足しないからです。
何以故。
是四念處非四念處。
乃至十八不共法。非十八不共法。
何故でしょうか。
この四つの観行は四つの観行ではありません、
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までも十八の〈仏以外には〉具わらない事物までではありません。
是諸法非法亦不非法。
是名菩薩摩訶薩般若波羅蜜。
色不受乃至十八不共法不受。
この諸々の事物は事物ではありません、また事物でないのでもないのです。
これを菩薩摩訶薩の般若波羅蜜と名づけます。
物質的存在は感じとらず、さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までも感じとりません。

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著作 アルキメデスの館