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摩訶般若波羅蜜経集散品第九

四、スブーティ、見解を留めずに般若波羅蜜を行ずべしと説く

復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。四念處中不應住。
何以故。
四念處四念處相空。
また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、四つの観行の中に留まるべきではありません。
何故でしょうか。
四つの観行・四つの観行の姿かたちは空です。
世尊。四念處空不名四念處。
離空亦無四念處。
四念處即是空。空即是四念處。
乃至十八不共法亦如是。
世尊。四つの観行は空ですから、四つの観行と名づけませんが、
空を離れてまた四つの観行はありません。
四つの観行はそのままで空、空はそのままで四つの観行なのです。
さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までもまた同じようです。
世尊。以是因故。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。四念處乃至十八不共法中不應住。 世尊。ですから、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、四つの観行から十八の〈仏以外には〉具わらない事物までの中に留まるべきではありません。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。檀那波羅蜜中不應住。 また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、檀那(ダーナ:布施)波羅蜜の中に留まるべきではありません。
尸羅波羅蜜
提波羅蜜
毘梨耶波羅蜜
禪那波羅蜜
般若波羅蜜中不應住。
尸羅(シーラ:持戒)波羅蜜、
(クシャーンティ:忍辱)波羅蜜、
毘梨耶(ヴィーリャ:精進)波羅蜜、
禅那(ディヤーナ:三昧)波羅蜜、
般若波羅蜜の中に留まるべきではありません。
何以故。
檀那波羅蜜檀那波羅蜜相空。乃至般若波羅蜜般若波羅蜜相空。
何故でしょうか。
檀那波羅蜜と檀那波羅蜜の姿かたちは空です、あるいは般若波羅蜜と般若波羅蜜の姿かたちは空です。
世尊。檀那波羅蜜空不名檀那波羅蜜。
離空亦無檀那波羅蜜。
檀那波羅蜜即是空。空即是檀那波羅蜜。乃至般若波羅蜜亦如是。
世尊。檀那波羅蜜は空ですから檀那波羅蜜と名づけませんが、
空を離れてまた檀那波羅蜜はありません。
檀那波羅蜜はそのままで空、空はそのままで檀那波羅蜜なのです。
さらには般若波羅蜜までもまた同じようです。
世尊。以是因故。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。不應六波羅蜜中住。 世尊。ですから、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、 まさに六つの波羅蜜の中に留まるべきではありません。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。文字中不應住。
一字門二字門。如是種種字門中不應住。
また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、文字の中にまさに留まるべきではありません。
一字門、二字門、このようないろいろな文字の門の中に留まるべきではありません。
何以故。
諸字諸字相空故。
亦如上
何故でしょうか。
諸という文字と諸という文字の姿かたちは空ですからであり、
また上に次のように説いたとおりです。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。諸神通中不應住。 また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、諸々の神通の中に留まるべきではありません。
何以故。
諸神通諸神通相空。神通空不名神通。
離空亦無神通。
神通即是空。空即是神通。
何故でしょうか。
諸々の神通と諸々の神通の姿かたちは空です、神通は空ですから神通と名づけませんが、
空を離れてまた神通はありません。
神通はそのままで空、空はそのままで神通なのです。
世尊。以是因故。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。諸神通中不應住。 世尊。この理由により、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、諸々の神通中に留まるべきではありません。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。色是無常不應住。受想行識是無常不應住。 また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、物質的存在は無常、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は無常、に留まるべきではありません。
何以故。
無常無常相空。
何故でしょうか。
無常と無常の姿かたちは空です。
世尊。無常空不名無常。
離空亦無無常。
無常即是空。空即是無常。
世尊。無常は空ですから無常と名づけませんが、
空を離れてまた無常はありません。
無常はそのままで空、空はそのままで無常なのです。
世尊。以是因故。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。
色是無常不應住。
受想行識是無常不應住。
世尊。ですから、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、
物質的存在は無常、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は無常に留まるべきではありません。
色是苦不應住。
受想行識是苦不應住。
物質的存在は苦、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は苦に留まるべきではありません。
色是無我不應住。
受想行識是無我不應住。
物質的存在は無、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は無に留まるべきではありません。
色是空不應住。
受想行識是空不應住。
物質的存在は空、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は空に留まるべきではありません。
色是寂滅不應住。
受想行識是寂滅不應住。
物質的存在は寂滅、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は寂滅に留まるべきではありません。
色是離不應住。
受想行識是離不應住。
亦如上
物質的存在は離、に留まるべきではなく、
感覚・知覚・意志・認知機能は離に留まるべきではありません。
また上に説いたとおりです。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。如中不應住。 また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、あるがままの中に留まるべきではありません。
何以故。
如如相空。
何故でしょうか。
ありのままの姿の姿かたちは空です。
世尊。如相空不名如。
離空亦無如。
如即是空空即是如。
世尊。あるがままの姿かたちは空ですからあるがままと名づけませんが、
空を離れてまたあるがままはありません。
あるがままはそのままで空、空はそのままであるがままです。
世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。法性法相法位實際中不應住。 世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、事物の本性・事物の姿かたち・事物の位・実際の中に留まるべきではありません。
何以故。
實際實際(相字欠)空。
何故でしょうか。
実際と実際の姿かたちは空です。
世尊。實際空不名實際。
離空亦無實際。
實際即是空。空即是實際。
世尊。実際の姿かたちは空ですから実際と名づけませんが、
空を離れてまた実際はありません。
実際はそのままで空、空はそのままで実際です。
復次世尊。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜。一切陀羅尼門中不應住。一切三昧門中不應住。 また次に世尊。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、一切の陀羅尼(ダーラニー、真理を護持する力)門の中にあるという見方、に留まるべきではなく、一切の三昧(サマーディー、瞑想)門の中に留まるべきでありません。
何以故。
陀羅尼門陀羅尼門相空。三昧門三昧門相空。
何故でしょうか。
陀羅尼門と陀羅尼門の姿かたちは空であり、三昧門と三昧門の姿かたちは空です。
世尊。陀羅尼門三昧門空。不名陀羅尼門三昧門。
離空亦無陀羅尼三昧門。
陀羅尼三昧門即是空。空即是陀羅尼三昧門。
世尊。陀羅尼門・三昧門は空ですから陀羅尼門・三昧門と名づけませんが、
空を離れてまた陀羅尼・三昧門はありません。
陀羅尼・三昧門はそのままで空、空はそのままで陀羅尼・三昧門です。
世尊。以是因故。菩薩摩訶薩欲行般若波羅蜜如乃至陀羅尼三昧門中不應住。

世尊。ですから、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じようと思うならば、あるがまま、あるいは陀羅尼・三昧門の中に留まるべきではありません。

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