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摩訶般若波羅蜜経集散品第九

二、スブーティ、名称は仮に設けられたものであることを説く

世尊。諸法因和合假名施設。 世尊。諸々の事物は因縁の和合したもので仮に名づけたに過ぎないものです。
所謂菩薩是名字。於五蔭中不可
十二入十八界乃至十八不共法中不可

於和合法中亦無可
いわゆる菩薩という、この名称は、人間を形成する五つの要素の中では説明できず、
十二入
(六根:眼・耳・鼻・舌・身体・心+六境:色・音・臭い・味・触・事物)、十八界(十八の領域、十二入+六識:視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・認知機能)、さらには十八の〈仏以外には〉具わらない事物までの中でも説明できず、
和合した存在の中でもまた説明することができません。
世尊。譬如夢於諸法中不可ならん)化於諸法中。亦不可
譬如名
空。亦無法中可
世尊。譬えば夢が諸々の事物の中で説明することができないように、響き・影・陽炎・変化も諸々の事物の中では、また説明することができないのです。
譬えば虚空と名づけられるようなものは、また事物の中では説明できるものがないのです。
世尊。如地水火風名。亦無法中可
戒三昧智慧解
知見名。亦無法中可
世尊。地・水・火・風(四大)という名称は、また事物の中に説明できるものはなく、
持戒・瞑想・智慧・〈輪廻からの〉解脱・解脱の自覚
(五分法身)という名称も、また事物の中に説明できるものはなく、
如須陀名字。乃至阿羅漢辟支佛名字。亦無法中可 須陀(スロータアーパンナ、小乗仏教修行の第一の階梯)という名称に、さらには阿羅漢(アルハン、小乗仏教修行者の最高位)・辟支仏(プラティエーカ・ブッダ、縁覚)という名称までも、また事物の中に説明できるものはなく、
如佛名法名。亦無法中可
所謂若善若不善。
若常若無常。
若苦若樂。
若我若無我。
若寂滅若離。
若有若無。
仏という名称、〈仏の理〉法という名称のように、また事物の中に、
いわゆる、もしは善、もしくは不善、
もしは常、もしくは無常、
もしは苦、もしくは楽、
もしは我、もしくは無我、
もしは寂滅、もしくは離、
もしは有、もしくは無というように、説明できるものはないのです。
世尊。我以是義故。心悔 世尊。私は〈説明するということに対し〉以上の理由のために後悔することになるでしょう。
一切諸法集散相不可得。
云何爲菩薩作字言是菩薩。
一切の諸々の事物が集まり散る姿かたちは〈実体として〉認知することはできません。
どうやって菩薩のために文字を作り、これを菩薩と言うのでしょうか。
世尊。是字不住亦不不住。
何以故。
是字無所有故。
以是故。是字不住亦不不住。
世尊。この文字は留まることもなく、また留まらないのでもないのです。
何故でしょうか。
この文字にはあるということがないからです。
ですから、この文字は留まることもなく、また留まらないのでもないのです。
世尊。若菩薩摩訶薩聞作是般若波羅蜜。如是相如是義。心不沒不悔不驚不畏不怖。當知是菩薩必住阿惟越致性中。
住不住法故。

世尊。もしも菩薩摩訶薩がこの般若波羅蜜はこのような姿かたち、このような意味であると説明するのを聞いて、心没せず、あなどらず、驚かず、畏れず、怖かなければ、まさにこの菩薩〈の意識〉は必ず阿惟越致(アヴァィヴァルティ、菩薩の不退転の位)の本性の中に留まると知るべきです。
それは、留まらない〈理〉法に留まるからなのです。

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著作 アルキメデスの館