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摩訶般若波羅蜜経三仮品第七

五、ブッダ、菩薩摩訶薩に教えるべき般若波羅蜜を説く

須菩提。汝言我不見是法名菩薩。
須菩提。諸法不見諸法。
諸法不見法性。
法性不見諸法。
須菩提、汝は『私はこの事物が菩薩と名づけられたのを見たことがない』と言った。
須菩提、諸々の事物は諸々の事物を見ず、
諸々の事物は事物の本性を見ず、
事物の本性は諸々の事物を見ない。
法性不見地種。
地種不見法性。
乃至識種不見法性。
法性不見識種。
事物の本性は地の種を見ず、
地の種は事物の本性を見ず、
さらには意識の種は事物の本性を見ず、
事物の本性は意識の種を見ない。
法性不見眼色眼識性。
眼色眼識性不見法性。
乃至法性不見意法意識性。
意法意識性不見法性。
事物の本性は眼の対象である物質的存在・視覚の本性を見ず、
眼の対象である物質的存在・視覚の本性は事物の本性を見ず、
さらには事物の本性は心という事物・認知機能の本性を見ず、
心という事物・認知機能の本性は事物の本性を見ない。
須菩提。有爲性不見無爲性。
無爲性不見有爲性。
須菩提、生滅する性質は生滅しない性質を見ず、
生滅しない性質は生滅する性質を見ない。
何以故。
離有爲不可
無爲。
離無爲不可
有爲。
なぜであろうか。
因縁によって生滅変化するものを離れて恒常的なものを説くことはできない。
恒常的なものを離れて因縁によって生滅変化するものを説くことはできない。
如是須菩提。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。於諸法無所見。
是時不驚不畏不怖。心亦不沒不悔。
このように、須菩提、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるに、諸々の事物に見るものはない。
この時驚かず・畏れず・怖がらず、心はまた没せず・悔いない。
何以故。
是菩薩摩訶薩不見色受想行識故。
なぜであろうか。
この菩薩摩訶薩は物質的存在・感覚・知覚・意志・意識を見ないから、
不見眼乃至意。
不見色乃至法。
また、眼あるいは心を見ず、
物質的存在から事物までを見ず、
不見婬怒癡。
不見無明乃至老死。
不見我乃至知者見者。
不見欲界色界無色界。
婬らさ・怒り・愚痴を見ず、
無明から老・死までを見ず、
自我から知る者・見る者までを見ず、
欲界・色界・無色界を見ず、
不見聲聞心辟支佛心。
不見菩薩不見菩薩法。
不見佛
不見佛法
不見佛道。
声聞心・辟支仏心を見ず、
菩薩を見ず、菩薩の法を見ず、
仏を見ず、
仏の理法を見ず、
〈般若波羅蜜に相応する〉仏の道を見ず、
是菩薩一切法不見故。
不驚不畏不怖不沒不悔。
この菩薩は一切の事物を見ないから、
驚かず、畏れず、怖がらず、没せず、悔いないのである」
須菩提白佛言。
世尊。何因
故。是菩薩心不沒不悔。
須菩提が仏に申し上げた。
「世尊、どんな因縁によって、この菩薩の心が没せず、悔いないのでしょうか」
佛告須菩提。
菩薩摩訶薩一切心心數法。不可得不可見。
以是故。菩薩摩訶薩心不沒不悔。
仏は須菩提に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩の一切の心・心にあるものは、〈実体として〉認知することはできず、見ることはできない。
この理由によって、菩薩摩訶薩の心は没せず、悔いないのである」
世尊。云何菩薩心不驚不畏不怖。
「世尊、どういうことを、菩薩の心は驚かず、畏れず、怖がらずというのでしょうか」
佛告須菩提。
是菩薩意及意識。不可得不可見。
以是故。不驚不畏不怖。
如是須菩提。菩薩摩訶薩一切法不可得故。
應行般若波羅蜜。
仏は、須菩提に次のように説いた。
「この菩薩の心及び認知機能は、〈実体として〉認知することはできず、見ることはできない。
この理由によって、驚かず、畏れず、怖がらないのである。
このように、須菩提、菩薩摩訶薩の一切の事物は〈実体として〉認知することはできないから、
まさに般若波羅蜜を行ずるのである。

須菩提。菩薩摩訶薩一切行處。
不得般若波羅蜜。
不得菩薩。
不得菩薩名。
亦不得菩薩心。
即是教菩薩摩訶薩

摩訶般若經卷第二

須菩提、菩薩摩訶薩は、一切の行ずるところで、
般若波羅蜜を〈実体として〉認知せず、
菩薩を〈実体として〉認知せず、
菩薩の名称を〈実体として〉認知せず、
また菩薩の心を〈実体として〉認知しないのである。
即ち、これこそ菩薩摩訶薩に教えることである」

摩訶般若経巻第二

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著作 アルキメデスの館