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摩訶般若波羅蜜経三仮品第七

四、スブーティ、言葉が菩薩の意味でないことを説明する

於須菩提意云何。色是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識是菩薩義不。
不也世尊。
須菩提はどう思うか。 物質的存在が菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
於須菩提意云何。色常是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識常。是菩薩義不。
不也世尊。
色無常是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識無常。是菩薩義不。
不也世尊。
「須菩提はどう思うか。物質的存在が恒常的であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が恒常的であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在が因縁によって生滅変化することが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が因縁によって生滅変化することが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
色樂是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識樂。是菩薩義不。
不也世尊。
色苦是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識苦。是菩薩義不。
不也世尊。
「物質的存在が楽であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が楽であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在が苦であることが菩薩の意味であるか、そうではないか。
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が苦であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
色我是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識我。是菩薩義不。
不也世尊。
色非我是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識非我。是菩薩義不。
不也世尊。
「物質的存在が自我であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が自我であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在が自我でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が自我でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
於須菩提意云何。色空是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識空。是菩薩義不。
不也世尊。
色非空是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識非空。是菩薩義不。
不也世尊。
「須菩提はどう思うか。物質的存在が空であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が空であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在が空でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が空でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
色相是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識相。是菩薩義不。
不也世尊。
色無相。是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識無相。是菩薩義不。
不也世尊。
「物質的存在の姿かたちが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識の姿かたちが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在の姿かたちがないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識の姿かたちがないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
色作是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識作。是菩薩義不。
不也世尊。
色無作是菩薩義不。
不也世尊。
受想行識無作。是菩薩義不。
不也世尊。
乃至老死亦如是。
「物質的存在が作為であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が作為であることが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「物質的存在が作為でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊」
「感覚・知覚・意志・意識が作為でないことが菩薩の意味であるか、そうではないか」
「そうではありません、世尊。さらには老・死までもまた同じものです」
佛告須菩提。
汝觀何等義。
言色非菩薩義。
受想行識非菩薩義。
乃至色受想行識無作。非菩薩義。
乃至老死亦如是。
仏は、須菩提に次のように説いた。
「汝はどのような理由によって、
物質的存在は菩薩の意味ではなく、
感覚・知覚・意志・意識は菩薩の意味ではない、
さらには物質的存在・感覚・知覚・意志・意識までが作為されたものでないことは菩薩の意味ではない、
さらには老・死までもまた、同じようなものであると言うのか」
須菩提白佛言。
世尊。色畢竟不可得。
何況色是菩薩義。受想行識亦如是。
須菩提は仏に申し上げた。
「世尊。物質的存在は究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在がこれこそ菩薩の意味、感覚・知覚・意志・意識もまた同じようなものである、というのでしょうか。
世尊。色常畢竟不可得。
何況色無常是菩薩義。乃至識亦如
SAT版如字作即)是。
世尊。物質的存在が恒常的であることは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在が因縁によって生滅変化することがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか。
世尊。色樂畢竟不可得。
何況色苦是菩薩義。乃至識亦如是。
世尊。物質的存在が楽であることは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在が苦であることがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか。
世尊。色我畢竟不可得。
何況色非我是菩薩義。乃至識亦如是。
世尊。物質的存在が自我であることは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在が自我でないことがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか。
世尊。色有畢竟不可得。
何況色空是菩薩義。乃至識亦如是。
世尊。物質的存在が有であるということは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在が空であることがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか。
世尊。色相畢竟不可得。
何況色無相是菩薩義。乃至識亦如是。
世尊。物質的存在の姿かたちは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在の姿かたちがないことがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか。
世尊。色作畢竟不可得。
何況色無作是菩薩義。乃至識亦如是。
世尊。物質的存在が作されたものであることは究極的には〈実体として〉認知することはできません。
いわんやなぜ、物質的存在が作されたものでないことがこれこそ菩薩の意味、さらには意識までもまた、同じようなものであるというのでしょうか」

佛告須菩提。
善哉善哉。如是須菩提。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
色義不可得。
受想行識義不可得乃至無作義不可得。
當作是學般若波羅蜜。

仏は須菩提に次のように説いた。
「よろしい、よろしい。そのとおりである、須菩提。
菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるに、
物質的存在の意味は〈実体として〉認知することはできず、
感覚・知覚・意志・意識の義も〈実体として〉認知することはできず、
さらには無作為までの意味も〈実体として〉認知することができない。
まさにこれこそ般若波羅蜜を学ぶということである。

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著作 アルキメデスの館