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摩訶般若波羅蜜経往生品第四

八、菩薩摩訶薩の六神通について説く(二)


是菩薩以宿命智證通。
念一心乃至百心。
念一日乃至百日。
念一月乃至百月。
念一乃至百歲。
〈宿命神通〉
この菩薩は、宿命智証通
(六神通の第四:過去世のあり方を知ることができる神通)によって次のように、
一人の心から百人の心までを思い、
一日から百日までを思い、
一月から百月まで思い、
一年から百年まで思い、
念一劫乃至百劫無數百劫。無數千劫。無數百千劫。乃至無數百千萬億劫世。
我是處。
如是姓。
如是名字。
如是生。
如是食。
如是久住。
如是壽限。
如是長壽。
如是受苦樂。
我是中死生彼處。
彼處死生是處。有相有因。
一劫あるいは百劫、無数百劫、無数千劫、無数百千劫、あるいは無数百千万億(億=十万)劫の世に、
私はここの処、
このような姓、
このような名字、
このような生、
このような食、
このような久住、
このような寿限、
このような長寿、
このような苦楽を受けており、
私はこの中に死に彼の処に生まれ、
彼の処に死に、この処に生まれる姿かたちがあり、因縁がある、と思う。
亦不著是宿命神通。
宿命神通事及己身。皆不可得。
またこの宿命神通に執着することはない。
宿命神通の事及び己の身体はみな〈実体として〉認知しないすることはできないからである。
自性空故。
自性離故。
自性無生故。
不作是念。
我有是宿命神通。
除爲薩婆若心。
如是舍利弗。菩薩摩訶薩。行般若波羅蜜時。
得宿命神智證。
自らの本性は空であるから、
自らの本性は離れているから、
自らの本性は生じも滅しもしないから、
次のようには思わないのである、
『私には宿命神通がある』と。
ただし薩婆若を自覚する心は除く。
このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、
宿命神通を自覚できる確証を得るのである。


是菩薩以天眼。
生死時生時端正醜陋。
惡處好處。
若大若小。
生隨業因

〈天眼神通〉
この菩薩は天眼
(六神通の第五、普通の目では見られない物事を見る神通)によって、
衆生の死ぬ時・生れる時・容姿の端正さ・容姿の醜さ卑しさ、
悪い処・好い処、
例えば大きいこと、例えば小さいことを見、
衆生の行いの因縁を知るのである、
是諸生身惡業成就口惡業成就意惡業成就故。
謗毀賢聖人。
受邪見因故。
身壞墮惡道生地獄中。
この諸々の衆生は、身体の悪業を成し遂げ、発言の悪業を成し遂げ、こころの悪業を成し遂げることにより、
賢・聖人を謗毀し、
邪見を持つことの因縁を受けるから、
身体は壊れ、悪道に堕ち、地獄の中に生まれ、
是諸生。身善業成就口善業成就意善業成就。
不謗毀賢聖人。受正見因故。命終入善道生天上。
この諸々の衆生は、身体の善業を成し遂げ、発言の善業を成し遂げ、こころの善業を成し遂げ、
賢・聖人を謗毀せず、
正見を持つことの因縁を受けるから、
命を終えて善道に入り、天上に生まれると。
亦不著是天眼通。
天眼通事及己身皆不可得。
またこの天眼通に執着することはない。
天眼通の事及び己の身体はみな〈実体として〉認知しないすることはできないからである。
自性空故。
自性離故。
自性無生故。
不作是念。
我有是天眼神通。
除爲薩婆若心。
如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
得天眼神通智證。
亦見十方如恒河沙等世界中生生死。乃至生天上。
四神通亦如是。
自らの本性は空であるから、
自らの本性は離れているから、
自らの本性は生じも滅しもしないから、
次のようには思わないのである、
『私には天眼神通がある』と。
ただし薩婆若を自覚する心は除く。
このように舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、
天眼神通を自覚できる確証を得、
また十方のガンジス川の沙ほどもある世界の中の衆生の生死、あるいは天上に生まれるを見るのである。
ほかの四つの神通
(如意・天耳・他心・宿命)もまた同じようである。

是菩薩摩訶薩漏盡神通。
雖得漏盡神通。
不墮聲聞辟支佛地。
乃至阿耨多羅三藐三菩提。
亦不依異法。
亦不著是漏盡神通。
漏盡神通事及己身皆不可得。
〈漏尽神通〉
この菩薩摩訶薩の漏尽神通
(六神通の第六、煩悩を尽くし解脱する神通)は、
たとえ漏尽神通を得て、
声聞・辟支仏の境地に堕ちずに、
さらに阿耨多羅三藐三菩提まで至るとしても、
またあやしい手法に依るのではない。
またこの漏尽神通に執着することはない。
漏尽神通の事及び己の身体はみな〈実体として〉認知しないすることはできないからである。
自性空故。
自性離故。
自性無生故。
不作是念。
我得漏盡神通。
除爲薩婆若心。
如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。
得漏盡神通智證。
自らの本性は空であるから、
自らの本性は離れているから、
自らの本性は生じも滅しもしないから、
は次のようには思わないのである
『私には漏尽神通を得た』と。
ただし薩婆若を自覚する心は除く。
このように舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、
漏尽神通を自覚できる確証を得る。
如是舍利弗。菩薩摩訶薩。行般若波羅蜜時具足神通波羅蜜。
具足神通波羅蜜已。揄v阿耨多羅三藐三菩提。

このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、
神通波羅蜜を欠けることなく満足し、
神通波羅蜜を欠けることなく満足したことによって、阿耨多羅三藐三菩提を益々向上するのである。

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著作 アルキメデスの館