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摩訶般若波羅蜜経習応品第三

七、為さないが故に般若波羅蜜を行ずると説く

復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
不習色有不習色無。
受想行識亦如是。
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、
物質的存在は有であると習わず、物質的存在は無であると習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色有常。不習色無常。
受想行識亦如是
物質的存在は恒常であると習わず、物質的存在は無常であると習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色苦不習色樂。
受想行識亦如是。
物質的存在は苦であると習わず、物質的存在は楽であると習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色我不習色非我。
受想行識亦如是。
物質的存在は自我であると習わず、物質的存在は自我でないと習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色寂滅不習色不寂滅。
受想行識亦如是。
物質的存在は寂滅であると習わず、物質的存在は寂滅でないと習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色空不習色非空。
受想行識亦如是。
物質的存在は空であると習わず、物質的存在は空でないと習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色有相不習色無相。
受想行識亦如是。
物質的存在には姿かたちがあると習わず、物質的存在には姿かたちがないと習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
不習色有作不習色無作。
受想行識亦如是。
物質的存在は作用すると習わず、物質的存在は作用しないと習わない。
感覚・知覚・意志・意識もまた同じようである。
是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時不作是念。
我行般若波羅蜜不行般若波羅蜜。非行非不行般若波羅蜜。
舍利弗。菩薩摩訶薩如是習應。是名與般若波羅蜜相應。
この菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、次のような考えを起こさないのである。
『私は般若波羅蜜を行ずる』『般若波羅蜜を行じない』『般若波羅蜜を行ずるのではない』『行じないのではない』
舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように習い応ずる、これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩不為般若波羅蜜故行般若波羅蜜。
不為檀那波羅蜜尸羅波羅蜜提波羅蜜毘梨耶波羅蜜禪那波羅蜜故行般若波羅蜜。
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
檀那波羅蜜・尸羅波羅蜜・提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅那波羅蜜をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
不為阿惟越致地故行般若波羅蜜。
不為成就生故行般若波羅蜜。
不為淨佛國土故行般若波羅蜜。
阿惟越致地をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
衆生を成就することをなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
仏国土を浄めることをなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
不為佛十力四無所畏。
四無閡智十八不共法故行般若波羅蜜。
仏のもつ十の力・四つの畏れのない心境の形式、
四つの妨げられることのない智・十八の〈仏以外には〉具わらない事物をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
不為空故行般若波羅蜜。
不為外空
外空空空大空第一義空有為空無為空畢竟空無始空散空性空諸法空自相空不可得空無法空有法空無法有法空故行般若波羅蜜。
内空をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
外面の空、内面および外面の空、空の空、大きな空、最重要意義の空、因縁によって生滅変化する事物の空、生滅変化しない事物の空、究極の空、始めがない空、分散した空、本性の空、諸々の事物の空、自らの姿かたちの空、得ることのできない事物の空、存在しない事物の空、存在する事物の空、存在せず存在する事物の空をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
不為如法性實際故行般若波羅蜜。 あるがままの実体・固有の本性・究極的な真実を〈見ることを〉なさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
何以故。
是菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不壞諸法相故。如是習應。
是名與般若波羅蜜相應。
なぜであろうか。
この菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるとき、諸々の事物の姿かたちを壊さない、このように習い応ずること、
これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
不為如意神通故行般若波羅蜜。
不為天耳故。
不為他心智故。
不為宿命智故。
不為天眼故。
不為漏盡神通故
行般若波羅蜜。
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、
如意神通をなさないから、般若波羅蜜を行ずるのである。
天耳をなさない、
他心智をなさない、
宿命智をなさない、
天眼をなさない、
漏尽神通をなさないから、
般若波羅蜜を行ずるのである。
何以故。
菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。尚不見般若波羅蜜。
何況見菩薩神通。
舍利弗。菩薩摩訶薩如是行。
是名與般若波羅蜜相應。

なぜであろうか。
菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、なお般若波羅蜜を見ない。
どのように菩薩は神通を見るというのであろうか。
舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように行ずる、
これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。

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著作 アルキメデスの館