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摩訶般若波羅蜜経習応品第三

五、ブッダ、色即是空等を説く

佛告舍利弗。
菩薩摩訶薩習應七空時。
不見色若相應若不相應。
不見受想行識若相應若不相應。
仏は舎利弗に次のように説いた。
「菩薩摩訶薩は七空に習い応ずる時、
物質的存在は例えば相応する、例えば相応しないと見ない。
感覚・知覚・意志・意識は例えば相応する、例えば相応しないと見ない。
不見色若生相若滅相。
不見受想行識若生相若滅相。
物質的存在に例えば生ずるという姿かたち、例えば滅するという姿かたちがあると見ない。
感覚・知覚・意志・意識に例えば生ずるという姿かたち、例えば滅するという姿かたちがあると見ない。
不見色若垢相若淨相。
不見受想行識若垢相若淨相。
物質的存在に例えば垢つくという姿かたち、例えば浄まるという姿かたちがあると見ない。
感覚・知覚・意志・意識に例えば垢付くという姿かたち、例えば浄まるという姿かたちがあると見ない。
不見色與受合。
不見受與想合。
不見想與行合。
不見行與識合。
物質的存在と感覚は合致すると見ない。
感覚と知覚は合致すると見ない。
知覚と意志は合致すると見ない。
意志と意識は合致すると見ないのである。
何以故。
無有法與法合者。其性空故。
なぜであろうか。
事物と事物が合致することはないからである。その本性は空であるからである。
舍利弗。色空中無有色。
受想行識空中無有識。
舎利弗。物質的存在が空であることの中に物質的存在があることはなく、
感覚・知覚・意志・意識が空であることの中に〈感覚・知覚・意志・〉意識があることはないのである。
(注)
舍利弗。色空故無惱壞相。
受空故無受相。
想空故無知相。
行空故無作相。
識空故無覺相。
(以下、般若心経の抜粋元であるという説がある)
舎利弗。物質的存在は空であるから乱れ壊れるという姿かたちはない。
感覚は空であるから感受するという姿かたちはない。
知覚は空であるから知るという姿かたちはない。
意志は空であるから為すという姿かたちはない。
意識は空であるから覚るという姿かたちはないのである。
何以故。
舍利弗。色不異空空不異色

色即是空空即是色。
受想行識亦如是。
なぜであろうか。
舎利弗、物質的存在は空と異ならず、空は物質的存在と異ならず。
物質的存在はそのまま空であり、空がそのまま物質的存在であり、
感覚・知覚・意志・意識もまたこのようであるからである。
舍利弗。是諸法空相。
不生不滅。不垢不淨不摯s減。
是空法非過去非未來非現在。
舎利弗、この諸々の事物が空という姿かたちであるということは、
生ぜず・滅せず、垢付かず・浄まらず・増さず・減ずることがないということである。
この空である事物は、過ぎ去ったものでもなく、未だ来ぬものでもなく、現に在るものでもない。
是故空中無色無受想行識。
無眼耳鼻舌身意。
無色聲香味觸法。
無眼界乃至無意識界。
このゆえに空の中に物質的存在はなく、感覚・知覚・意志・意識もなく、
眼・耳・鼻・舌・身体・心もなく、
色・音・臭い・味・触覚・現象もなく、
眼の領域もなく、さらに認知機能の領域もなく、
亦無無明亦無無明盡。乃至亦無老死亦無老死盡。
無苦集滅道。
また無明はなく、また無明の尽きることもなく、さらにまた老死もなく、また老死の尽きることまでもなく、
苦・集・滅・道もなく、

亦無智亦無得。
亦無須陀無須陀果。
無斯陀含無斯陀含果。
無阿那含無阿那含果。
無阿羅漢無阿羅漢果。
無辟支佛無辟支佛道。
無佛亦無佛道。
舍利弗。菩薩摩訶薩如是習應。
是名與般若波羅蜜相應。

また智〈慧〉というものもなく、また〈実体として〉認知するということもなく、
また須陀もなく、須陀果もなく、
斯陀含もなく、斯陀含果もなく、
阿那含もなく、阿那含果もなく、
阿羅漢もなく、阿羅漢果もなく、
辟支仏もなく、辟支仏道もなく、
仏もなく、また仏道もないのである。
舎利弗。菩薩摩訶薩がこのように習い応ずる、
これを般若波羅蜜に相応すると呼ぶのである。

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著作 アルキメデスの館