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摩訶般若波羅蜜経序品第一

十三、衆生を教化したいなら般若波羅蜜を学ぶべきことを説く

菩薩摩訶薩。欲令十方如恒河沙等諸世界中生。以我力故盲者得視聾者得聽。狂者得念裸者得衣。飢者得飽滿。當學般若波羅蜜。 菩薩摩訶薩が、十方のガンジス川の沙の数ほどもある諸々の世界の中の衆生に対し『我が力によって、盲者は視ることができるようになり、聾者は聴くことができるようになり、狂者は考えを持つことができるようになり、裸の者は衣を手に入れ、飢渇者は飽満になるべきである』と思うなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩若欲令十方如恒河沙等世界中生諸在三惡趣者。以我力故皆得人身。當學般若波羅蜜。 また次に舍利弗。菩薩摩訶薩がもし十方のガンジス川の沙の数ほどもある世界の中の衆生で、諸々の三悪趣地獄、餓鬼、畜生にいるものに対し『我が力によって、みな人身に生まれ変わらせよう』と思うなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
欲令十方如恒河沙等世界中生。以我力故立於戒三昧智慧解知見。令得須陀洹果乃至阿耨多羅三藐三菩提。當學般若波羅蜜。 十方のガンジス川の沙の数ほどもある世界の中の衆生に対し『我が力によって、戒・三昧・智慧解脱・解脱知見において自立させ、それぞれ須陀洹果あるいは阿耨多羅三藐三菩提を得させよう』と思うなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲學諸佛威儀者。當學般若波羅蜜。
菩薩摩訶薩欲得如象王視觀。當學般若波羅蜜。
また次に舍利弗。菩薩摩訶薩が諸々の仏の威儀を学びたいなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
菩薩摩訶薩が象王のように〈高みから真直ぐにものを〉観たいなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
菩薩作是願。使我行時離地四指足不蹈地。我當共四天王天乃至阿迦尼天無量千萬億諸天。圍遶恭敬至菩提樹下。當學般若波羅蜜。 菩薩〈摩訶薩〉が『自分が行くとき地を離れ、四指足が地を踏まないようにし、自分はまさに四天王天あるいは阿迦尼(アカニシュター)、無量千万億の諸々の天と共に、周囲を廻りながら、恭しく敬いながら、菩提樹の下に至ろう』という誓願をたてるなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我當於菩提樹下坐。四天王天乃至阿迦尼天。以天衣爲座。當學般若波羅蜜。 『自分がまさに菩提樹の下に坐り、四天王天あるいは阿迦尼が天衣によって座をつくるようにしよう』〈という誓願をたてるなら〉、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我得阿耨多羅三藐三菩提時。行住坐臥處欲使悉爲金剛。當學般若波羅蜜。 『自分が阿耨多羅三藐三菩提を得たときには、歩き、在宅し、座り、寝るところがことごとく金剛に変じるようにしたい』〈という誓願をたてるなら〉、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
復次舍利弗。菩薩摩訶薩欲出家日即成阿耨多羅三藐三菩提。即是日轉法輪。轉法輪時無量阿僧祇生遠塵離垢。諸法中得法眼淨。無量阿僧祇生一切法不受故。諸漏心得解。無量阿僧祇生於阿耨多羅三藐三菩提得不退轉。當學般若波羅蜜。 また次に舍利弗。菩薩摩訶薩が出家する日に、『阿耨多羅三藐三菩提を完成し、その日には〈説法の〉輪を転じ、〈説法の〉輪を転ずるときには無量阿僧祇の衆生に、〈事物を認知する心の〉塵を遠ざけ、〈事物を認知する心の〉垢を離れさせ、諸々の事物の中で一切を見分ける眼を浄化させ、無量阿僧祇の衆生に、一切の事物を感受させなくすることによって煩悩から解脱させ、無量阿僧祇の衆生を阿耨多羅三藐三菩提の境地から戻ることがないようにしよう』と思うなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我得阿耨多羅三藐三菩提時。以無量阿僧祇聲聞爲僧。我一法時。便於座上盡得阿羅漢。當學般若波羅蜜。 『自分が阿耨多羅三藐三菩提を認知したとき、無量阿僧祇の声聞を集めて教団とし、自分が一たび法を説くときには、座上においてことごとく阿羅漢〈の境地を〉を認知させよう』と〈思うなら〉、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我當以無量阿僧祇菩薩摩訶薩爲僧我一法時。無量阿僧祇菩薩。皆得阿惟越致。欲得壽命無量光明具足。當學般若波羅蜜。 『自分がまさに無量阿僧祇の菩薩摩訶薩を集めて教団とし、自分が一たび法を説くときには、無量阿僧祇の菩薩に、みな二度と戻ることがない境地を得させ、寿命無量・光明具足を得させよう』と思うなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我成阿耨多羅三藐三菩提時。世界中無婬欲瞋恚愚癡。亦無三毒之名。一切生成就如是智慧善施善戒善定善梵行善不嬈生。當學般若波羅蜜。 『自分が阿耨多羅三藐三菩提を完成するとき、世界の中に婬欲・瞋恚・愚痴(三毒煩悩)がなくなっており、また三毒の名もなく、一切の衆生がこのような智慧・善施・善戒・善定・善梵行・善不嬈生を成就しよう』と〈思うなら〉、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
使我般涅槃後法無滅盡。亦無滅盡之名。當學般若波羅蜜。 『自分が般涅槃(パリニルヴァーナ:入滅)の後も仏法が滅尽することなく、また滅尽の名もないようにしよう』と〈思うなら〉、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。
我得阿耨多羅三藐三菩提時。十方如恒河沙等世界中生聞我名者。必得阿耨多羅三藐三菩提。
欲得如是等功コ者。當學般若波羅蜜。
『自分が阿耨多羅三藐三菩提を認知したときは、十方のガンジス川の沙の数ほどもある世界の中の衆生が、自分の名を聞いたならば、必ず阿耨多羅三藐三菩提を認知するようにしよう』
このような功徳を得たいなら、まさに般若波羅蜜を学ぶべきである。

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著作 アルキメデスの館